子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「異端の鳥」:凄まじい暴力の果てに浮き上がる希望

2020年11月29日 11時50分56秒 | 映画(新作レヴュー)
舞台は第2次世界大戦のようだが,一体何処の国と何処が闘っているのか,登場人物が一体何語を話しているのか,といった物語を構成する重要な要素はほとんど判別できない。呪術師の老婆が出てきて,病人に祈祷を施しだすに至っては,中世の話なのかという疑問さえ頭を過ぎる。極端に台詞を削り,音楽も排された中,モノクロ3時間の作品は,各章に登場する人物の人名らしきものをサブ・タイトルに掲げつつ,ゆっくりと進んでいく。主人公の少年が受ける性的虐待を含む凄まじい暴力には,目を背けたくなるような残虐性がある一方で,あえて白黒のエッジを強調しない,奥行きの深い画面作りで観客の眼を釘付けにするヴァーツラフ・マルホウルの演出は,驚くほどの冴えを見せる。

様々な要素を分かり易く提示するという,現在の「コンテンツ世界基準」に背を向ける一方で,ステーラン・ステルスガルドやウド・キアーにジュリアン・サンズ,そしてハーヴェイ・カイテルといった名だたるビッグ・ネームが,細分化された各1章だけに顔を見せることで,作品が備えるフレームは,より混沌の度合いを増していく。しかし長い時間,それは作品そのものの上映時間だけでなく,主人公の少年が最初と最後で相貌がまるっきり変わっていくことに象徴される,物語上の時間を重ねていくうちに,一つの戦争という歴史上の事象は,やがて普遍的な人間の本質をえぐり出す鋭利なオペレーションへと変化していく。
極々普通の人間が一旦多数派の集団に所属し,集団を守る段となった際には,異物に対して容赦のない排他性を備えていくという危険性が露わになっていく一方で,生き延びるためにそんな世界と対峙する力と知恵を身につけていく少年の瞳は,ハリーポッター的な成長物語とは対極にある強靱さを湛えて,観客の心を射貫く。

仮借なき暴力が前面に出てくる一方で,スカルスガルドがふかすタバコの煙や,カイテルの優しい視線のおかげで,これもまた「家なき子」の変形かもしれないという,一種牧歌的な空気をところどころで感じさせることにより,観客の呼吸は何とか保たれる。親子の再会とそれに続く衝撃的な事実の発覚から,ついに少年が自分の名前を取り戻すラストは忘れられない。
フライヤーには,映像化には11年の歳月が費やされた,とあるが,そんな惹句も素直に受け止めることができる驚異的な映像体験だ。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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