子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ボストン市庁舎」:「ワシントンにはリーダーがいない」と言いきるリーダーが先導する5時間

2021年12月19日 10時14分20秒 | 映画(新作レヴュー)
5時間近い濃密な本編が終わって,シンプルなクレジットが続く背後で,役所にかかってくる電話に応対するオペレーターの声が被さる。「鳩をを狙って舞い降りてきた鷹の目がおかしいんだけど」。思わず吹き出してしまったが,これが「市民の声を聞く」という市役所の姿勢を貫くことによって,もれなくついてくる「現実」なのだ。マーティン・ウォルシュ市長という類い希な指導者が先導するボストン市役所の日常を描いた約5時間の作品「ボストン市庁舎」は,アメリカ,移民,民主主義,仕事,忍耐,言葉,多様性,勇気等々,タグ付けしたくなる単語が洪水のように湧き出てくる見事な作品だ。

これまでのフレデリック・ワイズマン監督作と同様に,ナレーションも説明字幕も音楽も,映像と会話以外の装飾要素は一切ない。次から次に映し出される会議や説明会,式典がどんなもので,喋っているのが市役所職員なのか,関係団体の職員なのか,ロビイストなのか,一般市民なのかも判然としない。けれども登場人物は全員,ひたすら喋りまくる。それが市の仕事の説明でも,それに対する意見の表明でも,論理だった言葉,感情の吐露に過ぎないもの,ありとあらゆる言葉が飛び交い続ける。ひとつの緊迫したやり取りが終わると,次の場面=会議室に移る前に,必ず原題である「CITY HALL=市庁舎」の外観や,市民の様々な出自を象徴するようなお店や住宅を捉えたショットが挟まれるのだが,その間に観客はひとつ大きく深呼吸し,また次の議論に備える。何度もそれが繰り返されるうちに,次第に観客も会議の参加者の一員と化し,出た意見に対して思わず挙手したくなるような衝動に駆られることになる。ワイズマンのマジックはシンプルながら実に巧妙で手強い。

貧困層を一時的に収容するシェルターの環境を整えると,救護した市民がそこに居着いてしまう。学校の教育プログラムを改善して成果が現れると,大勢の生徒がその学校を志望するようになって,教室が不足するという事態を招いてしまう。市役所が扱う実に雑多な仕事が,様々な意見の洗礼に遭う状況を見つめるうちに,理不尽な現実が理想論を凌駕し,新たな問題を発生させてしまう,そんな状況が次々と突きつけられる。5時間という上映時間は実は議論のフックに過ぎず,家に帰って映画のことを思い出しながら,考え続けることを促す良質な参考書を熟読した気持ちで劇場を後にした。この希有な体験こそ一人でも多くの方に。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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