子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「シェイクスピアの庭」:蝋燭の灯りで照らし出される悩める家庭人シェイクスピア
営業が再開されたシアター・キノの座席は,報道通りに一つ空け。営業は大変だろうが,鑑賞環境は極上。ミニシアター対象のクラウド・ファンディングへの雀の涙ほどの寄付が,少しでも役に立ってくれていることを祈りながら,久しぶりの暗闇を堪能した。
物語はロンドンを引き払って40代で故郷に隠居したシェイクスピアが、亡き息子を偲んで自宅の敷地内に庭を作り始めるところから始まる。どうやら田舎まではその名声が届かなかったと見えるシェイクスピアは、過去の栄光に引き摺られることなく,地道に庭造りに汗を流しつつ、これまで省みることのなかった家族の秘密を徐々に知ることになる。やがて結婚して家を出て行った長女や家に残った次女の行状、そして遂には事故により夭逝した息子の秘密に辿り着くことによって、長年のツケを払わされる羽目に陥る。
シェイクスピアに関する知識や時代背景を知らなくとも、生前のシェイクスピアには縁のなかったミクロなホームドラマとして楽しめることは、シェイクスピアが書いた戯曲を、映画化作品でしか知らない私が保証する。
全編を通じて夜の室内シーンが多いのだが、16世紀の民家の夜は、こんな感じだったんだろうな、と思わせるような、座っている人物の顔だけがぼうっと浮き上がるようなショットが何とも言えない風情を醸し出している。それはスタンリー・キューブリックが「バリー・リンドン」でトライした、実際の蝋燭の灯りだけで繊細かつ情報量の多い画面を作ったのとは全く異なるアプローチだが、時にラジオ・ドラマを思わせるような、役者の声のみによって観客をシェイクスピアの時代に連れ出して見せようぞ、という、稀代のシェイクスピア役者ケネス・ブラナーのユニークな試みは、見事に成功を収めている。
一方で実年齢で80歳を超えたジュディ・デンチが、実際も年上だった(9歳)とは言っても、まだ50代のケネス・ブラナーの奥さんを演じるというのは、いくら何でも無理があるのではないかと思ったが、その違和感は最後まで消えることがなかった。ただ、その違和感がこれまでのブラナー作品にあった「アクの強さ」を中和して、家庭では新参者の一構成員に過ぎないシェイクスピアの人間臭さを際立たせ得たのは,ブラナーの周到な計算の勝利だろう。役者やのう,って本物の役者でした。
タイトルは、文字通りシェイクスピアが作る庭から来ているのだが、その庭は最後まで完成することはなく,全体像が映し出されることもない。庭に創り出されたはずの小宇宙を想像しつつ,夜の深い闇で交わされた会話を反芻しながら,やはり映画は暗闇で観るのに限る,と呟いた休日。
★★★☆
(★★★★★が最高)
物語はロンドンを引き払って40代で故郷に隠居したシェイクスピアが、亡き息子を偲んで自宅の敷地内に庭を作り始めるところから始まる。どうやら田舎まではその名声が届かなかったと見えるシェイクスピアは、過去の栄光に引き摺られることなく,地道に庭造りに汗を流しつつ、これまで省みることのなかった家族の秘密を徐々に知ることになる。やがて結婚して家を出て行った長女や家に残った次女の行状、そして遂には事故により夭逝した息子の秘密に辿り着くことによって、長年のツケを払わされる羽目に陥る。
シェイクスピアに関する知識や時代背景を知らなくとも、生前のシェイクスピアには縁のなかったミクロなホームドラマとして楽しめることは、シェイクスピアが書いた戯曲を、映画化作品でしか知らない私が保証する。
全編を通じて夜の室内シーンが多いのだが、16世紀の民家の夜は、こんな感じだったんだろうな、と思わせるような、座っている人物の顔だけがぼうっと浮き上がるようなショットが何とも言えない風情を醸し出している。それはスタンリー・キューブリックが「バリー・リンドン」でトライした、実際の蝋燭の灯りだけで繊細かつ情報量の多い画面を作ったのとは全く異なるアプローチだが、時にラジオ・ドラマを思わせるような、役者の声のみによって観客をシェイクスピアの時代に連れ出して見せようぞ、という、稀代のシェイクスピア役者ケネス・ブラナーのユニークな試みは、見事に成功を収めている。
一方で実年齢で80歳を超えたジュディ・デンチが、実際も年上だった(9歳)とは言っても、まだ50代のケネス・ブラナーの奥さんを演じるというのは、いくら何でも無理があるのではないかと思ったが、その違和感は最後まで消えることがなかった。ただ、その違和感がこれまでのブラナー作品にあった「アクの強さ」を中和して、家庭では新参者の一構成員に過ぎないシェイクスピアの人間臭さを際立たせ得たのは,ブラナーの周到な計算の勝利だろう。役者やのう,って本物の役者でした。
タイトルは、文字通りシェイクスピアが作る庭から来ているのだが、その庭は最後まで完成することはなく,全体像が映し出されることもない。庭に創り出されたはずの小宇宙を想像しつつ,夜の深い闇で交わされた会話を反芻しながら,やはり映画は暗闇で観るのに限る,と呟いた休日。
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