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映画「バビロンの陽光」:日本における子役ブームの主役たちとは一線を画す,ヤッセル・タリーブ少年の瞳

刑務所に入れられて12年間消息を絶ったままの父親を捜して旅する,イラク・クルド族の少年とその祖母の旅の物語。
人の情と涙と世の中の不条理,そして母の愛が,砂埃に覆われたモノトーンの画面で,静かな声で語られる。
唯一,祖母の話から世の中の理を学び,父に対する思いを募らせるヤッセル・タリーブ少年の澄んだ瞳だけが,言葉を超えたものを雄弁に訴え続ける90分間だ。

収容されていたはずの刑務所で所在を確認できなかったことによって,次第に冷静さを失っていき,集団墓地で遂に他人の遺骨を息子のものと錯覚して泣き暮れる祖母を,遺骨の名前を確認した少年が「それは父さんじゃない」と必死に宥めるラスト近くの場面を除けば,ドラマティックなシーンは殆どないと言って良い。
監督のモハメド・アルダラジーは,小さく印象的なエピソードの積み重ねよりも,荒涼として乾いたイラクの大地と,少年と祖母のクロースアップの対比に重心を置いて,彼らが耐え抜かなければならない境遇の理不尽さを浮き立たせる。ラストの長いワンショットを除けば,決して技巧が前面に出ることはないが,終始ドキュメンタリー的冷静さとは異なる優しい視線を,キャメラの後ろに感じさせるところが技と言えば,言えるのかもしれない。

だが,その控えめな制作姿勢が,過去40年間で150万人を超える人々が「人為的に行方不明にされている」というイラクの歴史と実情を,どこまで世界に伝えられるかという観点で見れば,やや訴求力に欠けるという恨みを感じないではない。確かに虐殺に加わった元兵士のエピソードによって,市井の民の人生を踏みにじる圧政に対する怒りは形にされるが,凄まじい実態から見ればもっと激しい,あるいはより具体的な描写があっても良かったのではないかという思いを抱いたのも事実だ。

だが,愛する人の消息を尋ね歩く家族が経験する過酷さと心細さが,東日本大震災に見舞われた東北三県の被災者と重なって,図らずも当方の涙を誘った陰には,慎み深くあくまで抑制を基調として描くというアルダラジーの姿勢があったことは疑いがない。その意味で,今の日本でこそ多くの人に観られ,語られるべき作品かもしれない。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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