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映画「四つのいのち」:ドキュメンタリーとドラマの境界で起こる生命の奇跡

映画の後半,羊飼いの老人が亡くなった直後,山羊の出産を捉えたショットが被さる。その生まれ落ちたばかりで,まだ立つこともままならない子ヤギの鳴き声がフレーム外から聞こえる中,山羊の顔が次々にクロースアップで映し出される。あごに髭を蓄え,虚空を睨むその顔は,何処から見ても哲学者そのものだ。
山羊を追う犬以外,プロの俳優は誰ひとり(一匹)出演していない「劇映画」にも拘わらず,彼らの顔の造作と表情で語る「何事か」は,それが何かはよく分からないものの,観るものの心に深く刻まれる。これはなかなか凄いことだ。

イタリアの片田舎の1年を綴った,限りなくドキュメンタリーに近い,いのちの記録。
タイトルとなっている「四つのいのち」とは,人間,山羊,木,そして炭のことだと思われる。
キャメラは,その四つを静かに,かつ(おそらくは)少しニヤニヤしながら,じっくりと見つめ続ける。移動撮影は殆どないが,パン(首振り)は,何度かここぞというところで効果的に使われる。その映像センスには,一種の都会的な洗練が感じられるが,それを決して気取ったものと感じさせない奥ゆかしさも画面のそこかしこに同居している。

登場人物がキャメラを意識することなく行う会話は微かに聞こえてくるが,台詞と言えるものはないため,外国映画にも拘わらず字幕はない。被写体の微かな動きを追っている内に,観客は南イタリアのひなびた村の生活のリズムに乗せられて,自然と固定ショットが作り出すリズミカルな律動を楽しむようになるはずだ。だから,音楽がないことも全く気にならない。

ゆっくりとした時間の流れに沿った緩い展開はあるものの,ここには物語と言えるものはない。いや,それぞれの「いのち」が存在し,消え,そしてまた一つのいのちを踏み越えて生まれる,という時間の流れこそが,物語そのものに転化している。
生まれたばかりの子ヤギの過酷な運命を映し出した後,一気に木から炭へと昇華させる展開は,演出の巧みさと言うよりも,宇宙の法則そのもののようだ。それを「輪廻」と軽々に言い切ってしまうのが憚られるような,神々しさとユーモアを楽しめる人ならば,至福の88分が待っている。
★★★★
(★★★★★が最高)
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