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2010年TVドラマ夏シーズン・レビューNO.4:「ジョーカー 許されざる捜査官」「うぬぼれ刑事」

2010年08月01日 20時55分14秒 | TVドラマ(新作レヴュー)
恋愛ものがすっかり往時のエネルギーを失ってしまった現代のTVドラマ界にあって「病院もの」「弁護士もの」とならんで鉄板ジャンル御三家(私が勝手に名付けただけだが)を形成する「警察もの」は,今期も大手を振ってゴールデン・タイムを闊歩している。
そのうちの1本が,いつの間にやらするすると,当代きっての売れっ子となってしまった堺雅人が,とうとう1枚看板を務めるに至った現代版「必殺仕置人」(実は私は本物を観たことがないのだが)の「ジョーカー」だ。

幼い時に両親を犯罪者に殺され,その犯人を刺殺したことを刑事(大杉漣)に隠蔽して貰った過去を持つ伊達(堺雅人)が,暗い情念に突き動かされて犯人に正義の鉄槌を下す。この物語から私が連想するのは,テッド・ポストがクリント・イーストウッドと組んで手堅い仕事を見せた「ダーティーハリー2」だ。しかし,その報復行為を巡って巻き起こる警察官同士の対立が主軸となっていた「ダーティーハリー2」とは異なり,本作の第3回のラストでは,彼ら(堺=大杉と錦戸亮)がチームを組むであろうことが示唆されていた。

個人の倫理観に照らせば看過出来ない結論であっても,あくまでも法律の番人という立場を遵守せざるを得ないのが現代の警察官。その立場と思いの狭間で生じる苦しみを描くことが常道となってきた現代物の連ドラで,法を超える存在を是とするのは,放送倫理上も警察との関係においても勇気を必要とする判断だったはずだ。
その意味で,「ダーティーハリー2」において仕置人役の警官を糾弾したハリーに替わって,本作で伊達を疑うりょうの役目は重いが,ドラマ全体の鍵を握るのは,沈積していきがちな物語をそのキャラクターで持ち上げている,伊達の部下を演じる杏かもしれない。「社会正義とコンプライアンス」の対立という重厚なテーマを,その重さに抗して軽やかに前へ進めていけるかどうかは,お父さん(渡辺謙)の考え抜いた渋い演技とは対照的と言えるような彼女の独特の台詞回しと長い手足の動きにかかっている。

そんな「ジョーカー」のストイックなヘヴィネスの対極に位置するのは,宮藤官九郎と長瀬智也のコンビが再び実現した「うぬぼれ刑事」だ。
若者に人気の宮藤官九郎だが,私の相性は明らかに良くない。世間的には評判を呼んだ幾つかのTVドラマも,ヒットしない割りに作られ続けている映画も,心の底から笑ったり,共感できたものは今のところない。どちらのメディアにおいても,一見「物語の存在」を装っておきながら,突き当たりに用意された「空洞」に肩透かしを食った経験は,容易には消えない。「何にもないなら,三木聡みたいに始めからそう言えよ!」という気分だ。

だが,長瀬の天然キャラクターを往年の「ねるとん紅鯨団」の出会いパーティーに解き放ったみたいな今回のドラマは,明らかに違う。最初から「犯人がつかまっても,何にもありませんよ」という宣言がなされ,タランティーノが「デス・プルーフ」でやったガールズ・トークの日本人男性版を,要潤らの芸達者を揃えて開帳することによって,話を展開させていくベースとしたことがはまった感がある。
また,一話一ゲストの犯人役という設定が,どうにも垢抜けなかった三谷幸喜の「古畑任三郎」シリーズを嘲笑うかのように,女優ゲストのやりたい放題も,とっとと犯人を当ててしまうバーのマスターとうぬぼれの父親(西田敏行)もうまく機能している。
「流星の絆」に続く中島美嘉との絡みが,思惑通りには今一つ盛り上がらないという課題はあるが,脱がし屋カメラマンに扮した矢作兼の滑舌の悪い早口台詞が結構癖になりそうで,我ながら怖かったりすることこそ,クドカンの術中にはまった証拠なのだろう。今回は素直に拍手。


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1 コメント

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メイク マイ ディ 何とか (あぶない 踊る村石太刑事)
2010-08-03 22:34:59
ジョーカーよ 俺の無念を あいつらを 裁いてくれ
しかし スケ番デカの 最終回 あれは なぁー
sukepanデカのが 強いかなぁ
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