子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ノーマン・マクラレン作品集」:モーション・ピクチャーの原点

2009年03月20日 15時46分41秒 | 映画(新作レヴュー)
スコットランド生まれで,主にカナダを舞台に活躍した伝説のアニメーター(らしい),ノーマン・マクラレンの作品集が,札幌唯一の名画座,蠍座で公開されている。
アニメーションの熱心なファンとは言えない私は,名前すらも聞いたことがなかったクリエイターだったが,今回の上映では1940年から30年以上に亘る活動歴の中から選ばれた代表作13本を観ることが出来た。
そのほとんどが1本10分以内で,短いものは2分,最も長いものでも14分と,毎年ショートフィルム・フェスティバルを開催している札幌で上映される意義もあるのかもしれない(良くは分からないので,偉そうなことは言えないのだが)。

チラシに載っていた「映画は動きの芸術だ。どのように動くかは,何が動くかと同じくらい重要なことなのだ」という作者の言葉を裏付けるかのように,どの作品でも単純な形(最も象徴的なのは「水平線」という作品における文字通りの水平線=横線)が,音楽に合わせて,意図や意味を置き去りにして,ひたすら動く。
寓意らしきものが滲み出るのは,土地の境界に咲いた花をめぐって隣家同士が争う「隣人」くらいで,あとは椅子やマイクや線や国旗や抽象的な諸々の「形」が,ただただ目まぐるしく動く。

「実験的アニメーション」に,全くと言って良いくらい馴染みのない観客である私は,正直その動きが持つ面白さの核のような部分を味わうことが出来なかったと言わざるを得ないのだが,バレエ・ダンサーの動きを連続写真で追いかけた最後の「パ・ド・ドゥ」だけは,「動き」が持つプリミティブな躍動感がダイレクトに迫ってきて圧倒された。

この作品では「動画」という表現様式が,文字通り「絵」を連ねることによって「静止」状態から動きを生み出すこと,という原理が,鮮やかにそして軽やかに示される。瞬間を切り取られた,均整の取れたポーズを観ながら連想していたのは,現代のテクノ界を代表する二人のアーティスト,Carl CraigとMoritz von Oswaldがカラヤンの指揮の下でベルリン・フィルが演奏した「ボレロ」や「展覧会の絵」を,フレーズではなく,瞬間的な「響き」のみを頼りに再構築して全く新たな作品に仕立て上げた「Recomposed」だった。
静止画に時間軸が与えられて,「連なり」が生まれ出る瞬間の魔法に捉えられたアーティストという意味では,ジャンルを超えて共通する感性がある(あった)ことは疑いがない。ミニマルは古びないのだった。
★★★


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