子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ノマドランド」:「安心安全」の対極にある生の実感

2021年04月10日 20時22分56秒 | 映画(新作レヴュー)
今年の新書大賞の第1位に輝いた若きマルクス研究者斎藤幸平の「人新世の『資本論』」は,経済成長と環境保全≒カーボン・ニュートラルが同時に実現できることを前提に提唱されているSDGsを「まやかし」と断じ,経済デカップリングは不可能という条件の下で人類が生き残る術を熱く論じた,実に刺激的な本だった。今ドラマ版の「出会い系サイトで70人に実際に出会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年のこと」を観ているのだが,それに倣うと,環境関係かどうかに拘わらず行政に携わる全ての人に薦めたくなるような本だった。北京に生まれイギリスで教育を受けた米国在住のクロエ・ジャオ監督作「ノマドランド」を一言で表すと,まさに同書が内包するスピリットを,実在の人物にあて書きして物語化したような作品と言えるかもしれない。

夫に先立たれ,企業の倒産で住む家も失ったファーン(フランシス・マクドーマンド)は,生活保護申請を拒否し,季節工場労働者として賃金を得つつ,キャンピングカーに生活資材を積み込んでアメリカを放浪するという「生き方」を選択する。かつて代用教員として教えた子供から「先生はホームレスになったの?」と訊かれたファーンは「いいえ,ホームレスではなく「ハウスレス」なの」ときっぱりと答え,路上で出会う人々との交流に生の実感を見出していく。そんな彼女は,子供の世話になる道を選んだ仲間から一緒に温かい家庭に納まらないかと誘われるが,家のドアノブの代わりに車のハンドルを選び,太陽が放つ柔らかな黄昏の光の中,車を走らせていく。

頭蓋骨骨折という大けがを負いながらも再起を目指して懸命に生きるロデオ乗りを描いたジャオの前作「ザ・ライダー」は,現在も職業として荒馬に乗り続ける実在のライダーたちの姿を,古い言葉で言えば「実録」的な手法で撮影したシークエンスが中心に据えられ,話が進んでいくうちに虚実の境界が消失していく過程が最大の見所だったが,「ノマドランド」もまた同様の作品構造を持った作品だ。マクドーマンドはファーンと一体化し,彼女と出会う自由なノマドたちも皆,実名で登場しては画面に深い刻印を残していく。
ただ,生まれたままの姿で湖水に浮かぶマクドーマンドの姿は一見,高度資本主義に無抵抗主義で抗うジャンヌ・ダルクのような神々しさを放つ一方で,彼女が生活の糧を得るために労働力を売る相手先はAmazonの配送工場,という皮肉も効いている。自由経済社会の中で,自然と調和しながら個人の自由を尊重することの難しさがリアルに描かれている点こそが,本作が21世紀の「森の生活」となり得た最大のポイントだ。

唯一,映像に被る音楽のメランコリックな響きが甘過ぎるのではと感じる部分があったのだが,鑑賞後に時間が経ってみると「ザ・ライダー」に続いて担当したジョシュア・ジェームズ=リチャーズのキャメラが捉えた,中西部の風景の雄大に見えながらも実は風前の灯火かもしれない儚さに,合わせたものだったと思い直して,心からの満点を捧げたい。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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