子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」:ケイト・ブランシェットの感想が聞きたい

2008年07月26日 23時44分32秒 | 映画(新作レヴュー)
65歳にして,若き日(と言っても計算すると40代か?)の活躍の結果として,血を分けた子供がいたことを知ってしまった考古学者が,家族一丸となってナスカの地上絵の謎に挑んだ冒険譚。と書いてしまうと,全くもって身も蓋もないお話になってしまうのだが,そんなお伽噺をこれまでは血湧き肉躍る活劇に仕立て上げてきたルーカス=スピルバーグの「活動屋」としての足腰は,どうやら本格的なリハビリが必要な状態に陥っているようだ。

「物語」が語られることの歓びが,全編を通じて希薄なのだ。「クリスタル・スカル」の謎も,ソ連の秘密部隊とのバトルも,新たな家族との出会いも,ハラハラ,ドキドキという感情とはほど遠く,盛り上がりを見定められないまま延々と続くという印象の方が強い。

確かに蛇に替わって出てくる戦闘アリの描写や,老骨に鞭打って走るハリソン・フォードの頑張りなど,映画的な興趣を掻き立てられるシーンも少なからずある。しかし合成も明らかな断崖のカーチェイス場面が,タランティーノの「デス・プルーフinグラインド・ハウス」を観てしまった目には,何とも優雅な追っかけっことしか映らない,というように,肝心のアクションシーンの多くは映像的なキレを欠いているように見える。
そうなってしまった理由の多くは,個々のアクションが物語の中にきちんとした居場所を見つけられずに,つながりを失ったまま羅列されているデヴィッド・コープの脚本にあるのかもしれない。物語が進むべき方向を見失ったまま時間だけが経過していく,という欠陥は,核実験の扱い方に端的に現れている。

ただ作品の質を担保する最終的な責任は,制作と監督のビッグ・ネーム二人にあることは明らかだ。敵役に抜擢したケイト・ブランシェットが,(そのポテンシャルの半分も出せないまま)自らの欲に取り殺されていくという浅薄なキャラクターに甘んじたことを容認したのは,容易に信じられない。

大ヒット・シリーズと言えども,19年も間隔が空いてしまうと,制作過程で様々な問題が生じること自体は予想できるはずだが,トリュフォーの「アメリカの夜」の台詞を借りれば「(完全なものを諦めた後に)少しでもましなものにしたいと努力しよう」とした形跡が,スターウォーズと繋がるトンデモ話だけというのは,寂し過ぎる。
次作があるとしたら,ジェフリー・ディーヴァーに脚本を頼んで,インディーは杖を突きながら教室から指示を出し,息子が洞窟を飛び回る,という話でも良いから,生きた物語を救い出してくれることを祈りたい。


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