子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「幻影師アイゼンハイム」:中年映画ファンの情報ネットワークは侮れない

2008年08月01日 22時59分22秒 | 映画(新作レヴュー)
撮影監督のディック・ポープが切り取る端正で格調高い画面と,フィリップ・グラスがいつもと変わらず叙情的なメロディを反復させて紡ぎ上げた音楽,そして主役二人の抑制された動作と視線がもたらすものは,19世紀末という時代の空気に満ちていたであろう官能性に他ならない。
スティーブン・ミルハイザーの原作を掬い上げ,幻影のヴェールで覆われたロマンティックな物語を鮮やかな手捌きで観客の前に差し出した監督ニール・バーガーの手腕は,米国映画界の裾野の広さと豊かさを低い声で物語っている。同時に,マーヴェル社のアメコミのヒーローに熱狂する一方で,豊かだが一見地味なこんな映像が4千万ドルを超える配収を挙げるという観客の多様性にも,目眩と嫉妬を覚える。

19世紀末のウィーンという舞台装置を,存分に利用した映像がまずは素晴らしい。
伝統を纏った古い屋敷,見せ物小屋の妖しさ,そして物語が圧倒的なクライマックスを迎えるための引き金となる駅の雑踏。主人公が創り出す現実と幻影のあわいの儚さと対照的に,長い歴史を背負った暗く閉鎖的な都市と,そこに咲いたロマンスの対比が,実に鮮やかだ。

こうした格調高く構成された画面の中で,形を変えながらシンプルな四角形を描く主演4人のアンサンブルがまた見事だ。
主人公を演じるエドワード・ノートンは久しぶりだが,巧みさが露骨に出過ぎない演技が,出てくるだけでむせかえるような色気を振り撒くジェシカ・ビールと見事な呼吸を見せる。
この艶やかな主役二人を前にして,哀れな最期を遂げる皇太子を,あえて紋切り型の小心者として演じたルーファス・シーウェルの計算は,それが正しい答だったことがちゃんと画面で証明されている。

そして,明らかに「ユージュアル・サスペクツ」を意識して作られたと覚しきラストのどんでん返しにおいては,ポール・ジアマッティが心ならずも「やりやがったぜ!」という心情から見せてしまう微苦笑が,鮮やかな幕切れに花を添える。
壁の掲示物が一つ一つ謎を解き明かしていった「ユージュアル・サスペクツ」の理詰めのクライマックスに比べても,駅の会話の回想から一気にドミノ倒しでからくりを繋げてしまう本作のラストが持つ爽快感は,互角以上だと請け合える。

世紀末の退廃的な空気の中で綴られる悲恋を使って,軽やかにエンタテインメントしてしまう制作陣の粋な活動屋魂に拍手を送るとともに,観るまでは殆どノーマークだった私の貧弱な情報収集能力と対照的に,札幌の地方シネコン,スガイ・シネプレックスで一番広い劇場を埋め尽くした中高年の映画ファンの嗅覚に平伏したのだった。


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