子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「幕が上がる」:ジャンプの代わりに言葉と表情で紡ぐもの

2015年04月20日 22時14分47秒 | 映画(新作レヴュー)
劇作家平田オリザの小説の映画化に,「桐島,部活やめるってよ」の脚本を担当した喜安浩平が挑む。そう聞いただけで浮かんでくる「曲がりくねった青春ストーリー」とは感触を異にする,かなり真っ当なアイドル映画だ。
正直,高校の部活に打ち込むストレートな青春賛美という,ちょっと予想外の展開に戸惑ってしまったのだが,どのシーンからも繊細でありながら同時に紙やすりをなぞるようなザラザラしたニュアンスが立ち上ってくる。巷に溢れる凡百のラブストーリーから頭一つ抜け出す,心に引っかかる差異を生んだのは,主要キャストを演じる「ももいろクローバーZ」の5人の演技に対する熱い好奇心に他ならない。

歌やステージ・パフォーマンスにおける5人の立ち位置についてはまったくの素人ながら,映画の役回りはそれぞれの外見やキャラクター,雰囲気に即したものになっているように感じられ,自然に物語に入っていけるキャスティングは磐石だ。サッカーチームに例えると,トップに据えた百田夏菜子を,相性の良い玉井詩織と単独ドリブラーの有安杏果が両ウィングで支え,高城れにと佐々木彩夏がこぼれるボールを拾うDFというフォーメーション,といった感じか。
多用されるモノローグが説明調でうるさく感じたり,後方の二人の存在感がやや薄く,チームとしての拡がりに不満があったりと,至る所に小さな瑕疵は見つけられるのだが,それを補って余りあるのが彼女たちの少しだけ力が入り過ぎた部分が結果的にはチャームポイントに昇華している演技への情熱だ。
おそらくは満足に送れなかったに違いない高校生活への憧憬も含めて,一度しかない仲間と過ごす3年間(映画の中ではほぼ1年間)を燃焼しきるという決意が,静岡の片田舎の風景と共にとても鮮やかにスクリーンに定着している。

彼女たちを指導する黒木華とムロツヨシの凸凹教師コンビが,定石通りの役割ながらも,とても手堅い仕事をしていて気持ちが良い。同様に,相対性理論についての授業の中で「君たちにとってはバンドの名前としての方が馴染みがあるのだろうけど」と話して,生徒から「先生,若ーい!」と呟かれる志賀廣太郎も地道にホペイロ(ポルトガル語でサッカーチームの用具係)の役を全うしている。
ラストシーンで,県大会の幕が上がると同時に現れる「幕が上がる」のタイトル字幕を見つめる彼女たちの目はきっと,演じきった誇りで輝いていることだろう。
★★★
(★★★★★が最高)


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