子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「ハッピーエンド」:すべてを見通す少女のまなざし

2018年03月31日 11時53分41秒 | 映画(新作レヴュー)
イザベル・ユッペール扮する建設会社社長の息子で,会社を継ぐ立場にありながら,その意思も能力もない息子が,会社が起こした事故の後始末のため被害者が住む住宅を訪れるシーンがある。その玄関先に呼び出した被害者の家族らしい男と息子が話し合う様子をロング・ショットで捉えたこのシーン,二人が交わしている会話は観客にはまったく聞こえない。会話が長引き,時間が経つ内に,徐々にただ事ではない雰囲気が高まってきて,ついには男が息子を殴り,倒れた後も執拗に蹴り続ける,という展開となる。このシーン,過去のミヒャエル・ハネケ作品を観てきた観客は,会話の後に間違いなく「何らかの暴力」が描かれるだろう,という予感を持ったはずだ。「隠された記憶」での使用人の自殺しかり,「ピアニスト」のヒロインの自傷で幕を閉じるラストしかり。ハネケは台詞のみに頼らず,映像と音を極めて抑制的に提供することによって,観客の感情と理性的な思考の隙間に生ずる得体の知れない空間に観客を誘い込む。その手口は,5年間のブランクをまったく感じさせないほどに魅力的だ。

「愛,アムール」に続いてジャン=ルイ・トランティニアンとイザベル・ユッペールが,老いた父とその娘を演じることも相まって,その続編的な雰囲気や意味合いが物語の至る所で感じられるが,今回の実質的な主役はトランティニアンとその孫娘を演じるファンティーヌ・アルドゥアンだ。特にアルドゥアンは,「少女ファニーと運命の旅」を観ていない私にとっては初めての出会いとなったのだが,心底驚かされた。老人が自分の部屋に孫娘を招き入れ,共に「人を殺める」という行為に関与していた過去を露わにする会話が結果的に二人を強く結びつける,というシーンの強度は,アルドゥアンの信じられないほど深く透徹したまなざしがあって初めて生み出されたものだ。

ハネケ作品のもう一つの印籠とも言える,一見安定した状態への「異物」の混入という作業もまた,使用人のモロッコ人夫婦と息子が招き入れる黒人のグループによって巧妙に為される。ただ,綱の上で辛うじてバランスを取っているような人間関係の危うさを,外から眺めつつ綱を揺さぶるハネケの口元には,嘲笑的ではない笑みが潜んでいるようにも見える。

車椅子の祖父が海中に没する寸前で助け上げられるラストシーンが,孫娘と祖父にとっての「ハッピーエンド」だったのかどうか,折に触れて考えている。ハネケにSNSで「Are you happy?」と打ってみようかな。
★★★★☆
(★★★★★が最高)


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