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映画「あしたのパスタはアルデンテ」:橋田壽賀子+「カミング・アウト」だけでは物足りなかったようで…

大勢の家族や友人たちが囲む賑やかな食卓。音楽が溢れる華やかな結婚式。家族で守ってきた伝統ある稼業。兄弟の確執と親子の情愛。そして,そんなすべてを厳しくも優しい視線で包み込む気品溢れる祖母。
イタリア映画という大雑把な括りから連想される様々な要素を潤沢に用意して,それらが家業を継ぐと思われていた長男の「カミング・アウト」という号砲によって一斉に動き出す様を,一歩引いた場所から見つめた賑やかなコメディ。本国イタリアで140万人を動員し,ダヴィッド・ディ・ドナテッロ(イタリア・アカデミー)賞をはじめとして数多くの映画祭で受賞を果たした意欲作だ。

パスタ製造会社の長男が父の跡を継いで新社長に就任し,共同経営者にお披露目をする祝いの宴で,前日に弟から「ゲイであることをみんなに告白しようと思う」と事前にカミング・アウトされた長男が,弟の機先を制して「僕はゲイです」と告白する幕開けは快調だ。その告白に驚いて父は心臓発作を起こし,弟は予想外の展開に告白する機会を失してしまうばかりか,兄に替わって美しい女性とともに実質的な経営者の座に座らされてしまうまではテンポも良く,画面からは茹で上がりのパスタもかくやというエネルギーが伝わってきた。その勢いは,このまま進めば「少しだけ下ネタも出てくる橋田壽賀子ドラマ」か?という感じであった(橋田ドラマ,実はよく知りませんが…)。

だが監督のフェルザン・オズペテクの意図は,現代的な意匠を施した古典的ホーム・ドラマの復活ということにはなかったようで,残念ながらシンプルなコメディとしての整合性を目指す方向にドラマは進んでいかない。
例えば,冒頭で出てくる祖母(イラリア・オッキーニ,彼女の気品は絶品)の若かりし頃の「駆け落ち婚」が,ドラマの至る所に影を落とすのだが,その実態は最後まで詳らかにされない。
次男の恋人を含む仲間が訪ねてくるシークエンスでは,前後とは明らかにトーンを違えたドタバタ劇が挟み込まれるのだが,これらの演出は結果的にはどう見ても敢えて統一感から遠ざかろうとしているとしか思われず,観客は苦笑も出来ずにただ混乱させられるのみなのだ。

おそらくフェリーニが撮ったならば,運命への諦念(恋人と愛し合う次男を見つめる娘の視線)や郷愁を誘うファンタジーとしてドラマを深化させる作用を担ったかもしれないそれらの演出も,ここではあざとさだけが浮き上がるだけという結果に終わっている。ラストに長回しで描かれる,世代を超越した結婚式の舞踏を捉えたシーンが,時間軸を超えた希望を感じさせるものに昇華できなかった無念さは,後ろの席にいた年輩女性の「あれまぁ,これで終わりなの?」という呟きが象徴している。
★★
(★★★★★が最高)
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