子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「別離」:戦後の復興期の日本が小津や黒澤や溝口を生んだ時にも似て

2012年06月10日 10時36分23秒 | 映画(新作レヴュー)
アメリカがかつて「悪の枢軸」と呼んだ国,そのイランの映画に,自国で最も権威のある映画賞(アカデミー賞外国語映画賞)を贈った。それだけでも充分に大ニュースと言える出来事だが,作品の内容はそれ以上に数多くの驚きと謎に満ちている。劇中,音楽はほとんど流れないのに,感情を揺さぶるヴィヴィッドなメロディと難解なコードを組み合わせた複雑な構成が同居する,よく出来た室内楽を聴いたような気分になれる。けっして観客に親切な作品とは言えないが,あらゆる見方を許容する懐の深さを持った作品だ。

物語の主軸は,外国への移住を巡って離婚調停にまで発展してしまった夫婦のどちらに娘がついて行くのか?という極めて小さな「ホームドラマ」だ。だが,夫の父親の介護のために雇った家政婦が,夫のせいで流産してしまうという,通常ならばサブ・プロットに収まるような話が途中から前面に押し出されて来ることによって,作品全体が徐々に「ミステリー」の相貌を強めていくところが,凡百の家庭劇とこの作品を峻別する境界となっている。
最後には,すべてが宙ぶらりんのまま,観客は裁判所の喧噪の中に投げ出されることになるのだが,結局何ひとつ決着がついていないにも拘らず,その瞬間観客は困惑と同時に,同情とも不安感とも違う,言うなれば「世界中のみんなも迷っているんだ」という,一種の安堵感にも似た奇妙な感情を持つに至るはずだ。

クライマックスで信仰の問題がクローズアップされる展開には,いかにも「イラン映画」という印象を抱かされるのだが,敵対関係にあるアメリカの社会を象徴する「自動車」が,物語の進行に極めて重要な役割を果たすことをはじめとして,老親介護,格差問題など,先進国の社会問題が同様の形で庶民の生活に浸潤しつつあることを知らせるという,映画ならではの役割もしっかりと果たされている。
主役のひとり,妻役のレイラ・ハタミは「女性キャスト」のひとりとしてベルリン国際映画祭で女優賞を受けているのだが,その時の審査委員長イザベラ・ロッセリーニの母,イングリッド・バーグマンに雰囲気がよく似て,実に美しい。

貧しい家庭の純粋な兄妹愛を描いたマジッド・マジディの「運動靴と赤い金魚」に涙したのはもう13年も前のことなのかと振り返りつつ,イランという国に対する認識を改めると同時に,キアロスタミを筆頭にバフマン・ゴバディや本作のアスガー・ファルハディなど,次から次へと才能豊かな監督を輩出する環境についてもしばし考えさせられる。
アメリカにいるダルヴィッシュ投手や,FC東京の長谷川アーリアジャスール選手も(どちらもイラン系日本人),観たらきっと縁の深い国に想いを馳せるはず。
★★★★
(★★★★★が最高)


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