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映画「シャッター・アイランド」:断崖,灯台,精神病院,失踪。スリラーの原点

マーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオのコンビによる新作は,主人公が孕んでいる狂気が物語の核心にあるという点で「アビエイター」の続編のような手触りを持ったスリラーだ。
すっかり大人になったディカプリオの抑えた演技に加えて,撮影のロバート・リチャードソンや編集のセルマ・スクーンメイカー,音楽のロビー・ロバートソンといったスコセッシ組の仕事は,相変わらず「物語を語る」ために必要かつ的確な技術を披露しているが,今回は特にダンテ・フェレッティが作り出した精神病院や灯台のおどろおどろしい美術が,木戸銭以上の楽しみを提供してくれている。

ベン・キングズレーやミッシェル・ウィリアムズにパトリシア・クラークソン,そして誠に失礼ながらも,まだ生きていたことに驚愕してしまったマックス・フォン=シドウという,地味だが超豪華なキャストも実に手堅く,ヒッチコック作品に対するオマージュとも取れる幾つかの場面は,気品と節度を持って映画ファンに迫ってくる。

だが肝心のどんでん返しと,そこから思い起こされる様々な伏線を楽しむという点に関しては,主人公の妄想・幻覚と現実に起こった事柄との峻別が難しい(洞窟でのパトリシア・クラークソンとの絡みなど)場面で何度か躓いてしまったため,「騙される快感」を感じるところまでは行くことが出来なかった。
同様のどんでん返しは,古くはブライアン・シンガーのデビュー作である「ユージュアル・サスペクツ」,新しいところではニール・バーガーの「幻影師アイゼンハイム」を想起させたが,どちらも現実と想像の境界線を明確に引くという戦略を取ることによって,種明かしの瞬間のカタルシスをしっかりと担保していたように思う。
もっとも百戦錬磨のスコセッシのこと,再見した場合,気になっていた場面が,逆に膝を打つような伏線に様変わりする可能性がないとは言えないのだが…。

そんな内容以外で気になったのは,本編開始前の「脳がどうたら,こうたら」という前説。
映画に何を求めるかは観客の自由であり,ディカプリオが苦悩で歪める顔を味わいたいと言う客,ただただロビー・ロバートソンのスコアを楽しみたいという客,シャッター・アイランドを軍艦島に見立てて閉じこめられる快感を感じたいという客(そんな客が本当にいるかどうかはともかく)等々がいたって良いはず。余計なコピーは映画を愚弄するだけだ。スコセッシは,日本での上映時にこんな字幕が出されていることを知っているのだろうか?
と,森進一の「おふくろさん」前口上事件を思い出しながら,ひとりぶつぶつ。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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