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映画「母という名の女」:毒親を超える母の愛

押しも押されぬ世界的なトップ・ディレクターとなったアルフォンソ・キュアロンが牽引してきたように見える近年のメキシコ映画界に,突如として現れたミシェル・フランコという新しい才能は,カンヌ映画祭にとっても驚きだったようだ。「父の秘密」から3作が連続して同祭で受賞するという快挙は,同じくカンヌに愛された河瀨直美や是枝裕和の諸作同様に,良心的な非商業的フィルム(「万引き家族」の大ヒットは嬉しい例外だが)にスポットライトを当てるという,映画祭が担う責任を実にクリアな形で証明して見せた良い例だと思う。今回「ある視点部門審査員賞」を受賞した本作も,目の肥えた映画ファンを唸らせるに充分な,前作の「或る終焉」を超える出来映えだ。

何らかの事情で母親と別れて暮らす姉妹と母親の物語。10代で妊娠し出産間近の妹の相手が,富裕な家の出にも拘わらず定職に就いていないことを心配した姉が,母親に連絡する。母親は姉妹の元に駆け付けるが,今の環境では娘が孫を育てていくことは困難と判断し,娘の意志を無視して孫を里子に出す。時を同じくして母親と相手の男が娘の前から姿を消してしまうのだが,実は母親は娘から男と孫を奪い,遠く離れた町で3人で新しい生活を始めていたのだった。

こうして物語の筋を要約してしまうと,まるで出来の良くない昼メロのような印象を受けてしまうが,フランコが取るいつものスタイル,すなわち,長回しを基本とし,クローズアップは極力避ける,カメラの動きも最小限,という描き方を通過することによって,全編に硬質の緊張感が漲り,最後まで弛緩することはない。
冒頭,母親が妊娠した娘と初めて再会するシーンで,母親の顔を画面に映さないという判断や,ラスト近く母親がレストランに孫を置き去りにするフィックスのショットなどに存在する,ブレッソン作品にも通じるような最小限の情報で想像力を喚起する力は,フランコ作品独特のものだ。

同様に冷徹なタッチで世界の非情を描いた「或る終焉」のラストと比較すると,信じられない行動に出た母親を出し抜く娘の知恵と勇気と愛情がほとばしる結末には,運命を書き換える人間の可能性への信頼が,眩しいばかりに輝いている。前作の主演に続いて,今作では制作という形で関わったティム・ロスの惚れ込み振りも理解できる。札幌ではレイトショーのみの一週間限定公開となってしまったのだが,「娘」の皆さんは必見。
★★★★
(★★★★★が最高)
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