映画史上のカリスマの一人,ヌーヴェルヴァーグの旗手ジャン・リュック=ゴダールの若き日の姿(と言っても30代の後半)をスクリーンに再現する。いくら元妻の回想録をネタ本にしているとはいえ,並の神経の監督であれば尻込みするような企画に立ち向かったミシェル・アザナヴィシウスの勇気を,まずは讃えたい。志はアカデミー賞を獲得した「アーティスト」よりも遥かに高い。
ゴダールがアンナ・カリーナと別れた後に結婚したアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を原作に制作された本作は,ゴダールを嫉妬心が強く,独善的で狭量な芸術家として描いている。それがどの程度実像に近いかどうかは判断のしようもないが,ゴダールの初期作品の色彩設計に敬意を表した画面づくりや,ゴダールを演じたルイ・ガレルの擬態に陥らない熱演によって,ゴダールの後期作品群のように脳内に疑問符が溢れるようなものとはまったく異なる娯楽作品として楽しめる。
私にとってゴダールは,初期作品は勿論,難解な中期以降の作品群にあっても,美しい女優を美しく撮ることが実は政治姿勢よりも優先していたように見えたという点で唯一親近感を抱いていたのだが,アンヌ役のステイシー・マーティンが実に魅力的に撮れているという点で,本作にもちゃんとゴダールへのリスペクトは存在しているように感じる。それ以上の踏み込みが何もないことは確かだが,団塊世代をターゲットにした商業映画としては,ステイシーの肢体の魅力もあって,立派に成立している。
この作品に対してゴダール本人は「愚かな,実に愚かなアイデアだ」とこきおろしたらしい。従来のフォーマットに囚われず,斬新な発想で映画というジャンルそのものをアップデイトし続けてきた監督が,人生の最晩年で私生活やキャラクターを批判的に再現されるに及んで,そんな陳腐なコメントを発したこと自体は,この映画を見終わった観客にはさほど驚くには当たらないニュースだろう。けれども,コメントそのものよりも,そのコメントをそのまま本国版のポスターに使用してしまった監督のミシェル・アザナヴィシウスの方が,ゴダールが目指してきたはずの「同時代的な」振る舞いに見えることこそが,この作品の最大のアイロニーかもしれない。ゴダールからの返歌があれば,楽しみなのだが。
★★★
(★★★★★が最高)
ゴダールがアンナ・カリーナと別れた後に結婚したアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を原作に制作された本作は,ゴダールを嫉妬心が強く,独善的で狭量な芸術家として描いている。それがどの程度実像に近いかどうかは判断のしようもないが,ゴダールの初期作品の色彩設計に敬意を表した画面づくりや,ゴダールを演じたルイ・ガレルの擬態に陥らない熱演によって,ゴダールの後期作品群のように脳内に疑問符が溢れるようなものとはまったく異なる娯楽作品として楽しめる。
私にとってゴダールは,初期作品は勿論,難解な中期以降の作品群にあっても,美しい女優を美しく撮ることが実は政治姿勢よりも優先していたように見えたという点で唯一親近感を抱いていたのだが,アンヌ役のステイシー・マーティンが実に魅力的に撮れているという点で,本作にもちゃんとゴダールへのリスペクトは存在しているように感じる。それ以上の踏み込みが何もないことは確かだが,団塊世代をターゲットにした商業映画としては,ステイシーの肢体の魅力もあって,立派に成立している。
この作品に対してゴダール本人は「愚かな,実に愚かなアイデアだ」とこきおろしたらしい。従来のフォーマットに囚われず,斬新な発想で映画というジャンルそのものをアップデイトし続けてきた監督が,人生の最晩年で私生活やキャラクターを批判的に再現されるに及んで,そんな陳腐なコメントを発したこと自体は,この映画を見終わった観客にはさほど驚くには当たらないニュースだろう。けれども,コメントそのものよりも,そのコメントをそのまま本国版のポスターに使用してしまった監督のミシェル・アザナヴィシウスの方が,ゴダールが目指してきたはずの「同時代的な」振る舞いに見えることこそが,この作品の最大のアイロニーかもしれない。ゴダールからの返歌があれば,楽しみなのだが。
★★★
(★★★★★が最高)