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映画「50/50」:明るく哀しみ病と闘う,というアティテュード

若くて見た目も草食系のスマートなラジオ局員が,ジョギングの途中で腰に違和感を覚えて診察を受けたら,いきなり「進行したガンです」と告げられる。
そんな主人公を,世話焼きの友人,過保護な母親,新米セラピストたちが励ましながら,辛く苦しいガン治療が進められる。
物語の筋だけを取り出したら「ガン闘病記」というこれまで数多く作られてきたジャンル作なのだが,ジョナサン・レヴィンの「50/50」は,そこに小洒落た軽いものから自虐的なものまで,硬軟取り混ぜた笑いをまぶすことによって,深刻な物語から新たな反射光を生み出してみせた。描いている対象からすれば適当な形容詞ではないかもしれないが,手法は鮮やかで,語り口は実に軽やかだ。

ガンを宣告された主人公アダム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)を励まそうと,ガンから生還した有名人としてパトリック・スウェイジの名を挙げる友人のカイル(セス・ローゲン)に対して,「パトリック・スウェイジは死んだよ」とアダムが返す冒頭の会話場面が,映画の基本的なリズムを決め,深刻なドラマはドライな悲しみをまといつつも滑らかに淡々と進んでいく。

抗ガン剤治療に先んじて髪を剃るアダムに対して「マイケル・スタイプ(昨年解散したロックグループ「REM」のヴォーカリスト)みたいだ」とカイルが冷やかしたり,アダムの手術中に母親(アンジェリカ・ヒューストン)とカイルがセラピストのキャサリン(アナ・ケンドリック)と初めて顔を合わせた時に,各々がアダムがキャサリンに対して行ったであろう説明を予想して自分の弁解を始める,といったユーモアに溢れた場面を積み重ねることによって,アダムを支える人々の輪と想いがじんわりと浮き上がってくる展開は,押し付けがましさとは縁遠い品格を湛えて,好感が持てる。

レヴィットとローゲンの楽しくも美しい掛け合いが作品の核となっているが,アダムの世話を焼きながら次第に彼から離れていくガールフレンドという,イーストウッドの「ヒアアフター」に続く「損な役回り」を演じたブライス・ダラス=ハワードの独りよがりの優等生感溢れる佇まいと,年齢のせいか肉食系のエネルギーが削ぎ落とされて,母性愛溢れる母親という,一昔前には想像もできなかった役柄を嬉々として演じるヒューストンの貢献も見逃せない。無表情の医者や認知症の父親も含めて,役者のアンサンブルがしっかりと物語の背骨を作っている。

ただ,キャサリンがセラピストという職業の枠を越えて,アダムに感情移入してしまう展開には,大事なところで詰めを誤ったという印象を受けた。職業に就くということは,個人の感情を引き受けた上で全てを飲み込む覚悟をしなければならない局面に直面すること,という現実を,アナ・ケンドリックは「マイレージ,マイライフ」で学んだ筈なのに,とブツブツ。
★★★
(★★★★★が最高)
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