子供はかまってくれない

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映画「サヨナラの代わりに」:演技達者同士の見事なワンツー・パス

2015年11月26日 00時03分53秒 | 映画(新作レヴュー)
WASPの典型のような弁護士を夫に持ち,恵まれた生活を送る美しい主婦ケイト(ヒラリー・スワンク)は,難病に罹ったことからやがて車椅子生活を余儀なくされる。介護のために雇ったエミー(エミー・ロッサム)は,大学をドロップアウトして歌手を目指すも,歌うべき対象を見つけることが出来ずに,その日暮らしの生活を続ける自堕落な女だった。二人の間に接点は見出せない,とケイトの夫(ジョシュ・デュアメル)はエミーを雇うことに反対するが,ケイトは辛抱強くエミーに家事を教え,ケイトの話を正面で受け止める彼女との間に,次第に友情を越える信頼を見出していく。
筋だけを追ったならば,フランスや日本で大ヒットした「最強のふたり」のハリウッド・リメイクか?と思わせるような物語だ。

しかし「最強のふたり」が,フランス社会の底辺で生きてきた移民である介護士の人生観に,裕福な患者が感化されて変わっていくという,男性同士の一方通行的な感動物語だったのに比べると,登場人物が女性同士に入れ替わった「サヨナラの代わりに」の方が展開は遥かにインタラクティブだ。
すなわち,ケイトとエミーの辿々しくも心の深いところにまで届く交流は,上流階級の社交に内在する欺瞞に嫌気がさしていた上に,夫の裏切りにも気付いてしまうケイトだけでなく,親との関係に悩み人生の入り口で立ち止まっていたエミー,更には一度はケイトから三行半を突きつけられる夫までをも変質させていく。決して洗練された台詞のやり取りばかりとは言えないが,演劇界出身という監督のジョージ・C・ウルフの演出は奇を衒わずオーソドックスに,やがて来る「死」を前にして真摯に生きるとは?という難問を突きつけられた人々の苦悩を柔らかく画面に定着させてみせる。

オスカーを2度獲得したヒラリー・スワンクが上手いのは,火ならぬスクリーンを見るより明らかだが,予想以上にエミー・ロッサムが健闘している。二人の演技が,お互いが強い自己主張をした結果としての「合戦」ではなく,「ハーモニー」に昇華している点が,本作が単なるお涙頂戴の難病ものでもなく,友情物語として「最強のふたり」レヴェルに留まることもなく,敢えて言うならばチーム・スポーツもののような衒いのない感動を生むに到った最も大きな要因だろう。
それにしても年を取れば取るほど,ヒラリー・スワンクはミック・ジャガーに似てきている。密かに「隠し子説」を唱えているのだけれども,どなたか,賛同してはもらえまいか?
★★★☆
(★★★★★が最高)


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