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映画「アンダー・ザ・シルバーレイク」:スパイダーマンにも解決不能な謎に溺れる

2018年11月04日 11時38分45秒 | 映画(新作レヴュー)
スカンクの尿をかけられて対面する人みんなから「臭い」と忌諱される主人公は,長い映画史上,初めてだったのではないか。美女サラ(ライリー・キーオ)に導かれて,きらびやかな分,漆黒の程度も想像を絶するハリウッドの深奥に進んでいくサム(アンドリュー・ガーフィールド)の冒険は,文字通り「シルバーレイク」という虚構の街の「下」へと辿り着く。その旅路は恐ろしくも抗しがたい魅力に満ちた140分だ。

アルフレッド・ヒッチコックの最良のパートナーだったバーナード・ハーマンを彷彿とさせるおどろおどろしい音楽に伴われて,画面中央に立つサムを捉えたカットは,まさに1950年代のフィルム・ノワールを連想させる。疾走した美女を探す主人公の前に立ちはだかる,直接は見えないけれども本来なら相手にしてはいけない巨大な敵,という物語の核となる設定も,それだけでノワール気分を満足させてくれるのだが,「アンダー・ザ・シルバーレイク」が凡百の犯罪映画と一線を画すのは,その迷走過程でスクリーンを埋め尽くしていくポップ・カルチャーのアマルガムのようなきらめきの存在故だ。

冒頭にデヴィッド・リンチの「ブルー・ベルベット」に出てきた「耳」を連想させるドッグフードが出てくるところから「これはひょっとすると」という気配が濃厚だが,案の定先達への敬意に満ちた引用の数は半端ない。そもそも物語の発端となるのは,サムがフラットのベランダから中庭のプールを双眼鏡で覗くという,ヒッチコックの代表作「裏窓」の基本フレームそのもの。ヒッチコック師はご丁寧に墓まで使われている。立ってるものは親まで使え,の教えは忠実に守られているようだ。主人公がテレビで観る作品はマリリン・モンローの「百万長者と結婚する方法」に「第七天国」。象徴的なのはドン・シーゲルの「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」で,ひとりエイリアンに乗っ取られずに残った主人公の台詞は,そのままサムの心の叫びと重なる。
サムの寝室に掲げられたニルヴァーナのポスター,R.E.Mの使い方もファンには堪らない。サラに扮するライリー・キーオがエルヴィス・プレスリーの孫娘であるという事実も加わって,観客は文字通り「めまい」のジェームズ・スチュアート状態に陥ること間違いなし。

ただあらゆるところにばらまかれた伏線(のようなもの)は,その殆どが回収されないままサラは「アンダー」へと去って行く。最上のリンチ作品で味わわされた「取り残され感」とはまたひと味違う「何だこれ?」という感触は,「イット・フォローズ」ともまた次元が異なるものだ。デヴィッド・ロバート=ミッチェル,恐るべし。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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