子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
パスカルズ北海道上陸大作戦(ライヴ):14色のクレヨンで描かれた「どですかでん」
数年振りに罹ってしまった新型ならぬ,従来型の風邪で,情けなくもダウンしてしまい,アップが遅くなってしまったが,先週の土曜日に札幌市西区琴似にある「生活支援型文化施設コンカリーニョ」で行われた「パスカルズ北海道上陸大作戦」のレビューを書いておきたい。
農耕民族の血を騒がせるような,陽気で賑やかな楽しさに満ちていながら,どこかもの悲しさも纏った村祭りのようだった。
インストゥルメンタル曲主体のステージは,今回のライブを主催した実行委員会の友人から数年前に貰った1枚のMDと,山下敦弘監督の「松ヶ根乱射事件」の音楽から想像し得る方向に沿ったものではあったが,特に印象的だったのが,演奏者に与えられた自由度とバンドとしての一体感の平衡がもたらす独特の熱気だった。
様々な楽器(プラス楽器として用いられた器材)が絡み合って紡ぎ出す音は,テーマを個々のソロで展開したり,お互いが拮抗しつつ上昇していくことよりも,テーマに対する14人の反応やアイデアを「総天然色の和魂洋才」とも呼ぶべきバンドのコンセプトの基に束ねていくことに重きが置かれているように感じられた。事実,バンドリーダーのロケット・マツは,指揮者宜しくステージの大半を客席に背を向けて演奏していたのだが,他の13人のエネルギーを身体で感じて,それをまとめていくことの楽しさを味わっていることが,その若々しい後ろ姿(会場で貰った資料によると52歳!)からダイレクトに伝わってきていた。
数多く用いられている楽器のうち,ヴァイオリンが4台というところから,1980年代に一世を風靡したユニークな楽隊「ペンギン・カフェ・オーケストラ」を連想した人も多かったかもしれない。しかしペンギン・カフェが,今は亡きサイモン・ジェフズ個人のアイデアやコンセプトを具体化するための「ユニット」という性格が強かったことに比べると,パスカルズという「バンド」は,グループとしての信頼感を基に14人がシンプルな一つの絵を描くために,14通りのアプローチを許しているという,正にこの一点で,集団の性格の根本部分が決定的に異なっていたのだった。
元「たま」の石川浩司が中心的な役割を担っていた演劇的な要素は,文字通り老若男女で埋め尽くされたオーディエンスを巻き込む力を湛えており,演奏が進むに従って観客席とステージの親和力が,北海道でのライヴはこれが初めてとは思えないくらいに強まっていくのが,最後列で観ていた私にも実感できた。
曲は日本的な旋律から英国トラッドっぽいメロディまで,やや憂いを秘めたモチーフが多かったが,特に第一部の後半で演奏された武満徹の「どですかでんのテーマ」が帯びていた鮮やかな色彩感は,この日の演奏の中でも白眉と言えるものだった。
また,1970年台後半のニュー・ウェーブを経験したメンバーが多かったこともあるのか,第一部の最後に演奏された曲におけるサビのかけ声には,遠藤賢司の「東京ワッショイ」や全盛期のムーンライダーズをも想起させるような力がこもっていて,同年代である私も思わず声を上げてしまった。
ライヴの後で,サッカーの日本代表チームの勝利(ウズベキスタン戦)を見届けた私のような観客にとっては,正に来るべき「収穫」を言祝ぐための2時間の祝祭となったのであった。
今を時めくEXILE並みの人数ながら,おそらくEXILEのライヴとは桁が二つは異なるであろう規模の演奏会を敢行してくれたパスカルズのメンバーとライヴ関係者の勇気に,心から敬意を表したい。
農耕民族の血を騒がせるような,陽気で賑やかな楽しさに満ちていながら,どこかもの悲しさも纏った村祭りのようだった。
インストゥルメンタル曲主体のステージは,今回のライブを主催した実行委員会の友人から数年前に貰った1枚のMDと,山下敦弘監督の「松ヶ根乱射事件」の音楽から想像し得る方向に沿ったものではあったが,特に印象的だったのが,演奏者に与えられた自由度とバンドとしての一体感の平衡がもたらす独特の熱気だった。
様々な楽器(プラス楽器として用いられた器材)が絡み合って紡ぎ出す音は,テーマを個々のソロで展開したり,お互いが拮抗しつつ上昇していくことよりも,テーマに対する14人の反応やアイデアを「総天然色の和魂洋才」とも呼ぶべきバンドのコンセプトの基に束ねていくことに重きが置かれているように感じられた。事実,バンドリーダーのロケット・マツは,指揮者宜しくステージの大半を客席に背を向けて演奏していたのだが,他の13人のエネルギーを身体で感じて,それをまとめていくことの楽しさを味わっていることが,その若々しい後ろ姿(会場で貰った資料によると52歳!)からダイレクトに伝わってきていた。
数多く用いられている楽器のうち,ヴァイオリンが4台というところから,1980年代に一世を風靡したユニークな楽隊「ペンギン・カフェ・オーケストラ」を連想した人も多かったかもしれない。しかしペンギン・カフェが,今は亡きサイモン・ジェフズ個人のアイデアやコンセプトを具体化するための「ユニット」という性格が強かったことに比べると,パスカルズという「バンド」は,グループとしての信頼感を基に14人がシンプルな一つの絵を描くために,14通りのアプローチを許しているという,正にこの一点で,集団の性格の根本部分が決定的に異なっていたのだった。
元「たま」の石川浩司が中心的な役割を担っていた演劇的な要素は,文字通り老若男女で埋め尽くされたオーディエンスを巻き込む力を湛えており,演奏が進むに従って観客席とステージの親和力が,北海道でのライヴはこれが初めてとは思えないくらいに強まっていくのが,最後列で観ていた私にも実感できた。
曲は日本的な旋律から英国トラッドっぽいメロディまで,やや憂いを秘めたモチーフが多かったが,特に第一部の後半で演奏された武満徹の「どですかでんのテーマ」が帯びていた鮮やかな色彩感は,この日の演奏の中でも白眉と言えるものだった。
また,1970年台後半のニュー・ウェーブを経験したメンバーが多かったこともあるのか,第一部の最後に演奏された曲におけるサビのかけ声には,遠藤賢司の「東京ワッショイ」や全盛期のムーンライダーズをも想起させるような力がこもっていて,同年代である私も思わず声を上げてしまった。
ライヴの後で,サッカーの日本代表チームの勝利(ウズベキスタン戦)を見届けた私のような観客にとっては,正に来るべき「収穫」を言祝ぐための2時間の祝祭となったのであった。
今を時めくEXILE並みの人数ながら,おそらくEXILEのライヴとは桁が二つは異なるであろう規模の演奏会を敢行してくれたパスカルズのメンバーとライヴ関係者の勇気に,心から敬意を表したい。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 2010年サッカ... | 本「大聖堂 ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |