近年のフランス映画には「パリ20区,僕らのクラス」や「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」のように,学校教育の実態にドキュメンタリー的な手法で迫った秀作が幾つもある。その多くに共通するのは,都市部やその郊外に住む難民が増えてきたことにより,中学や高校で極めて基礎的な国語教育から始めなければならなくなった状況を,時間をかけてじっくりと捉える姿勢だ。ジャーナリストとしてキャリアを積んできたオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダルの長編デビューとなる本作も,そんな流れの中で生まれた作品のひとつだが,主役の教師を演じたドゥニ・ポダリデスの緩急をつけた見事な演技によって,優れた教育論であると同時に極上のエンターテインメントとしても機能するという離れ業を成し遂げてみせた。
岡目八目。物事の外側の安全地帯に立って,批評的に論評する人に向かって,「そこまで言うなら,あなたがやってみてくださいよ!」と言いたくなった経験は誰にもあるはず。この作品の主人公であるエリート高校の教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)は,教育に対して持っている確固たる信条を滔々と述べた行為によって,まさにそういった声を自ら呼び寄せてしまい,過酷な条件の下で持論を実践せざるを得ない羽目に陥る。
変形版の熱血教師(主人公の体温は極めて低そうだけれど)物語なのだが,サルトルに似た風貌の堅物が,予想もしなかったトラブルに巻き込まれてしまうのも,その渦中で一筋の光を見出すのも,どちらにも女性が絡んでくるという展開が,いかにもエスプリが効いたフランス映画らしいところ。決して芯はぶれないけれども,予期せぬ事件の連続によってもたらされる困惑と同様が,やがて新鮮な体験となって教師の外殻を割るハンマーの役割をする一部始終が,ポタリデスの卓抜な演技によって控えめに,しかし深い体験として語られる。重要なのは,常にフランソワの困惑に対して共感の微笑みが生まれるという点。それはおそらく札幌の劇場でもパリの劇場でも,共通してみられた光景だったのではないだろうか。
学校における集団教育に馴染めない問題児をどう扱うか。移民や難民の有無に拘わらず,おそらくは現代の世界中の教師が抱える共通の問題に対してヴィダルが提示した回答が,学校教育に携わるすべての人々の議論のベースになって欲しいと願う。
★★★★
(★★★★★が最高)
岡目八目。物事の外側の安全地帯に立って,批評的に論評する人に向かって,「そこまで言うなら,あなたがやってみてくださいよ!」と言いたくなった経験は誰にもあるはず。この作品の主人公であるエリート高校の教師フランソワ(ドゥニ・ポダリデス)は,教育に対して持っている確固たる信条を滔々と述べた行為によって,まさにそういった声を自ら呼び寄せてしまい,過酷な条件の下で持論を実践せざるを得ない羽目に陥る。
変形版の熱血教師(主人公の体温は極めて低そうだけれど)物語なのだが,サルトルに似た風貌の堅物が,予想もしなかったトラブルに巻き込まれてしまうのも,その渦中で一筋の光を見出すのも,どちらにも女性が絡んでくるという展開が,いかにもエスプリが効いたフランス映画らしいところ。決して芯はぶれないけれども,予期せぬ事件の連続によってもたらされる困惑と同様が,やがて新鮮な体験となって教師の外殻を割るハンマーの役割をする一部始終が,ポタリデスの卓抜な演技によって控えめに,しかし深い体験として語られる。重要なのは,常にフランソワの困惑に対して共感の微笑みが生まれるという点。それはおそらく札幌の劇場でもパリの劇場でも,共通してみられた光景だったのではないだろうか。
学校における集団教育に馴染めない問題児をどう扱うか。移民や難民の有無に拘わらず,おそらくは現代の世界中の教師が抱える共通の問題に対してヴィダルが提示した回答が,学校教育に携わるすべての人々の議論のベースになって欲しいと願う。
★★★★
(★★★★★が最高)