子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「希望の灯り」:フォークリフトが奏でる波の歌

2019年06月08日 12時03分07秒 | 映画(新作レヴュー)
巨大なスーパーマーケットの通路を多くのフォークリフトが走り回るオープニングは,スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」の宇宙船を捉えたプロローグに似て,やや興ざめだったのだが,本編が始まってショットがフィックスになったと同時に映画は本来のペースを取り戻す。ほとんど喋らない主人公(フランツ・ロゴフスキ)は,彼を取り巻く人々の計量器となって,彼らがそれぞれ抱える荷物の重さを量って回る。その重さに堪えかねて暗闇に沈んでいく人がいる一方で,その闇の彼方にともる微かな灯りが,観た人の胸に宿す温もりは強く確かなものだ。

舞台となる旧東ドイツ領内のかつては物流倉庫だった建物を転用したスーパーマーケットは,日本の都市部の一般的なスーパーというよりも,かつてあったハイパーマートや今のコストコのようなまさに「高度資本主義」の象徴のような場所だ。そこに沈積するのは社会から落ちこぼれた若者の孤独だけではない。夫から暴力を振るわれる妻,効率至上主義の末端であえぐ労働者,そしてかつての東ドイツ時代の暮らしへの儚いノスタルジー。
珈琲マシンが置いてある休憩室や期限切れの商品の廃棄所,そして陳列棚の隙間から見える隣の通路などで小声で語られる,そうしたエピソードの集積は,やがてパレットに載せられて運ばれる大量の商品の重さをも凌駕する,感情のうねりを呼び起こす。

現在37歳だという監督のトーマス・ステューバーは東西ドイツ統一時にまだ8〜9歳くらいだったはずだが,当時の社会状況を微かな記憶でなぞりつつ,文字通り市井に生きる,されど個性的な人々の姿を瑞々しい感性で切り取っていく。
「ありがとう,トニ・エルドマン」で度肝を抜いたザンドラ・ヒュラーは,同作とはまったく異なる佇まいによって,主人公同様に観客にも薄幸な人生への同情を募らせる。主人公のロゴフスキが無人のバス停に佇む姿は,アキ・カウリスマキの「ラヴィ・ド・ボエーム」を想起させる。そして何よりも本作の土壌の豊かさを担っているのは,主人公のメンターであるブルーノ役を演じたペーター・クルトだ。就業時間中はまるで共産主義時代への回帰をアピールするかのようにチェスに興じながら,やがて内に抱える闇に飲み込まれていく姿は圧巻だ。

ユーロの中心で苦悩するドイツのもう一つの闇と灯り。東ドイツ出身のメルケルさんは観ただろうか?
★★★★
(★★★★★が最高)


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