子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「空気人形」:全力で息を吐き出した是枝裕和を,しっかりと受け容れたペ・ドゥナ

2009年10月18日 11時37分54秒 | 映画(新作レヴュー)
「家族」という形態を,リアリズムと作劇の絶妙な匙加減で描いた秀作「歩いても 歩いても」に続く是枝裕和の新作は,前作とは打って変わって,業田良家の短編漫画を原作にしたファンタジーだった。一見小さく見えるが,人間の情感が密度濃く縒り合わされた世界を描いて,多彩なニュアンスを発散させた前作の高い完成度を捨ててまで挑んだチャレンジは,ペ・ドゥナというこの世のものとは思われない肢体を持つミューズを得て,未開の荒野に確かな一歩を記す旅となった。

男の性欲を満たすための「代理品」だったはずの人形が,何故かある日突然「心」を持ってしまう。人形は「代理品」である自分の存在に悩みながら,世界を知り,感じ,恋をし,そして悲劇的な結末を迎える。
心を持たない「代理品」の所有者のふるまいと,彼を心配する心優しき周囲の人々の姿を静かに綴ったクレイグ・ギレスピーの秀作「ラースと,その彼女」の合わせ鏡のような物語だが,描写は「空気人形」の方が遙かにリアルで,痛々しく,切ない。彼女のぎこちない動きや言葉が次第に生気が帯びてくるに従って,彼女が恋するレンタルヴィデオ屋の店員(ARATA)の告白に象徴される,生きてはいるが中身(=心)が空洞の人間の悲しさが,開いた穴から漏れ出す空気のように,画面から噴出する。

主役のペ・ドゥナは,まるで流行のフィギュアのモーションピクチャーかと思わせるような見事な四肢を,余すところなくスクリーンに晒して勝負に出た。その心意気には,観るものを圧倒するような力がある。
ただ,儚く脆い存在として,荒涼たる世界に生まれ出た戸惑いと歓びを繊細に描き出し,「リンダ・リンダ・リンダ」とも「グエムル」の時とも異なる,革新的な表現者としての覚悟をも漂わせた彼女の演技が,並み居る日本人の俳優を薙ぎ倒してしまった,という印象を与える結果になったことも否めない。

特に眼に暗い光りを宿して引きこもる星野真里と,現実社会との接点を求めて新聞を切り抜いては自分の記憶を歪曲してしまう富司純子,そして自分の仕事に対する誇りを持ちながらヘンテコな化粧に気付かない余貴美子(彼女だけはペと関わりを持つのだが)という「孤独」で繋がった3人の女性のエピソードが,物語を横方向に膨らませる役割を充分に果たしていないのは残念だ。
また彼女の創造者であるオダギリ・ジョーとの邂逅も淡々とし過ぎて,「運命」を受け容れる覚悟を新たにする場面としては,やや物足りない。

とは言え,たった8頁の漫画からインスパイアされて生まれたイメージを,何とかして映像化したいという是枝の果敢なチャレンジは,予想を遙かに上回る豊穣な映像となって結実したと思う。
愛する男の手で開いた穴にセロハンテープを貼って貰い,息を吹き込まれながら恍惚とした表情を浮かべるペ・ドゥナを切り取ったショットには,今は亡き神代辰巳も拍手を送ったことだろう。
★★★★
(★★★★★が最高)


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