子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「Dr.パルナサスの鏡」:トラブルを乗り越える達人の集大成

2010年02月03日 23時45分35秒 | 映画(新作レヴュー)
テリー・ギリアムの映像にかける強い思いは,執念と言っても良いくらいに強く激しい。だが時にその激しさは,あらゆるものを引き付ける磁力をも伴うのか,ギリアムはこれまで編集を巡る映画会社との衝突(未来世紀ブラジル)や,制作会社の失態による莫大な赤字(バロン),更には予期せぬ事故の連続による制作中止(ドン・キホーテを殺した男)等々の,それ事態が映画の題材となるような数多のトラブルに遭遇してきた。

制作途中での主演俳優(ヒース・レジャー)の死という,打ちのめされるような試練を乗り越えることが出来たのも,そんな経験を持つギリアムだからこそだったのだろう。作品の完成に賭けた思いは,壮大なホラ話を構成する幾つもの悪夢のような映像に結実している。ヒース・レジャーも,代役を買って出た3人の盟友に感謝しつつ,ロシアのお母さんのスカートの中に潜り込んで,安らかに眠っていることだろう。

ただ,正に世紀の大傑作「未来世紀ブラジル」が,強烈なヴィジュアルに拮抗するような,管理社会への批判に満ちたクールな視点(脚本にトム・ストッパードが参加)が観るものを圧倒していたのに比べると,「ラスベガスをやっつけろ」以降のギリアム作品にそうした物語の推進力が欠けていることは否めない。
この作品でもパルナサス博士と悪魔との賭けが象徴するものが,果たして人間の善悪なのか,対テロ戦争に対する批判なのか,はたまた寓話でも何でもないただのホラ話なのか,私には判然としない。

それでもパルナサスの修験所やロンドンの街を疾走する芝居小屋,鏡の中に広がる異次元のデザイン,更にはそこで繰り広げられる数々の悪夢は,生半可な3D作品を凌ぐギリアム一流の過剰さで迫ってくる。
天に届く梯子をよじ登っていたら,それがやがて「蜘蛛の糸」になり,最後は地を跨ぐ竹馬になっていく,という連続したイメージは,ギリアムの大ファンだという「爆笑問題」の太田光ならずとも「馬鹿じゃないの?」と突っ込みたくなるような切れ味を持っている。

未完成のまま放り出してなるものか,というギリアムの執念と,レジャーの代役を担った3人の俳優の友情にしっかりと応えたトム・ウェイツの不敵な笑いが,エンド・クレジットが終わった後に厳かに鳴り響く携帯電話の着信音と重なって,余韻を残す。以前からコミックの「聖☆おにいさん」を映画化するならば,監督は是非ともテリー・ギリアムにと思っていたのだが,その思いはますます強くなった。
★★★★
(★★★★★が最高)


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