子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
映画「舞妓はレディ」:前作で影を潜めた周防節を堪能する
仕事やスポーツや芸事を通じて,人の成長と変化のダイナミズムをリズミカルに表現してきた周防正行だが,「それでもボクはやってない」のスピンオフとも取れる前作「終の信託」は,テーマの重さとそれに合わせたかのような重厚な演出と演技は,正攻法で見応えがあるという印象も受ける一方で,周防監督でなければ撮れない作品なのか,という疑問の方が勝ってしまい,残念ながら入り込むことは出来なかった。
監督自身が自作に対してどんな評価を下したのかは分からないが,新作「舞妓はレディ」のトーンを観る限り,作品の重さのバランスを取りたくなったのは間違いないと思われる。音感が酷似している題名はもとより,ストーリー自体を「マイ・フェア・レディ」から拝借したかのような新作は,「うたって,おどって,舞い上がる」という宣材の謳い文句の通り,軽やかな飛翔感に満ちている。
出産時に亡くなった母親の職業だった舞妓になりたいと,青森から上京してきた少女が,京都の花街で成長していく姿をミュージカル仕立てで描いた本作は,ほとんどの周防作品と同様に「舞妓」という職業を丹念に紹介していくプロットが実に魅力的だ。その過程で大勢の役者が入れ替わり立ち替わり画面に登場するのだが,その賑やかさは前作のヤマ場のほとんどが医師役の草刈民代と検事役の大沢たかおの対決に費やされていたのとは対照的だ。
ほとんどすべてがオープンセットで撮影されたものと思われるが,千春(富司純子)が若かりし頃を回想するシーンにおけるコテコテのセットや,本家ヒギンズ教授の研究室を再現したかのような京野先生(長谷川博己)の部屋における美術も,気分はすっかり「MGMミュージカル」だ。
主人公の春子を演じる上白石萌音は,若い頃の宮崎美子を更に自然体にしたかのような「もわーっ」とした雰囲気が印象的だが,良く通る歌声とコメディエンヌとして必要な良い意味での軽さは,今後も大きな武器になるだろう。
脇では踊りの師匠を演じる中村久美の面立ちが,主人公を応援する姉さん芸妓の岩本多代に似ていて面白い。
本来のステージに帰ってきた周防節に,心からの「おおきに」を。
★★★★
(★★★★★が最高)
監督自身が自作に対してどんな評価を下したのかは分からないが,新作「舞妓はレディ」のトーンを観る限り,作品の重さのバランスを取りたくなったのは間違いないと思われる。音感が酷似している題名はもとより,ストーリー自体を「マイ・フェア・レディ」から拝借したかのような新作は,「うたって,おどって,舞い上がる」という宣材の謳い文句の通り,軽やかな飛翔感に満ちている。
出産時に亡くなった母親の職業だった舞妓になりたいと,青森から上京してきた少女が,京都の花街で成長していく姿をミュージカル仕立てで描いた本作は,ほとんどの周防作品と同様に「舞妓」という職業を丹念に紹介していくプロットが実に魅力的だ。その過程で大勢の役者が入れ替わり立ち替わり画面に登場するのだが,その賑やかさは前作のヤマ場のほとんどが医師役の草刈民代と検事役の大沢たかおの対決に費やされていたのとは対照的だ。
ほとんどすべてがオープンセットで撮影されたものと思われるが,千春(富司純子)が若かりし頃を回想するシーンにおけるコテコテのセットや,本家ヒギンズ教授の研究室を再現したかのような京野先生(長谷川博己)の部屋における美術も,気分はすっかり「MGMミュージカル」だ。
主人公の春子を演じる上白石萌音は,若い頃の宮崎美子を更に自然体にしたかのような「もわーっ」とした雰囲気が印象的だが,良く通る歌声とコメディエンヌとして必要な良い意味での軽さは,今後も大きな武器になるだろう。
脇では踊りの師匠を演じる中村久美の面立ちが,主人公を応援する姉さん芸妓の岩本多代に似ていて面白い。
本来のステージに帰ってきた周防節に,心からの「おおきに」を。
★★★★
(★★★★★が最高)
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