子供はかまってくれない

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映画「8月の家族たち」:インコも死ぬ程の気温を凌ぐ家族会議の熱気

2014年05月11日 23時10分03秒 | 映画(新作レヴュー)
ジョン・ウェルズ。TVドラマシリーズ「ER」や「ザ・ホワイトハウス」で培った手腕を,スクリーンにフィールドを変えた「カンパニー・メン」でも発揮した俊英が手掛けたのは,ピューリッツァー賞とトニー賞をW受賞した演劇の映画化だった。個人を押しつぶそうとする過酷な社会との距離感に独特のものを持つディレクターは,ここでは大勢の出演者の背景を手際よく描き,役者に振り切れた演技をさせる環境整備に輝きを見せる。マネジメントの達人が見せる至芸は,芸術が必ずしも狂気の淵にある人間だけが生み出すものではない,と証明しているかのようだ。

そんな監督の掌で,安心して心のガードを外してみせるのはメリル・ストリープからアビゲイル・ブレスリンまで総勢12人の,複雑な関係にある大家族プラス家政婦一人。
元々スー族インディアンの部族名だったミズーリ州オセージ(原題は「8月:オセージ郡」)を舞台に,失踪した父親が溺死体で見つかったことにより葬儀に集まった家族が,積年の恨み辛みの暴露合戦を繰り広げる。

野球にたとえるなら,母娘役のストリープとジュリア・ロバーツは,まるで150km/hの剛速球を投げる投手と50本ホームランを打つ強打者が真っ向からぶつかり合うような勝負を見せる一方で,いとこ同士の恋愛という秘めた関係を育むベネディクト・カンバーバッチとジュリアン・ニコルソンの二人は,カットボールとスライダーで打者を翻弄する熟練のバッテリーのようなプレーで観衆をねじ伏せる。

そのカンバーバッチは,父親役のクリス・クーパーと並んでスクリーンに映ると,本当の親子のように見えるくらい似ており,見事なキャスティングだ,と拍手を送りたくなる。
だが実は「似ている」ことが偶然に過ぎなかったことが明らかになる物語のクライマックスで,観客は演劇では不可能だったクロースアップを駆使する「映画」独自の表現に,まんまと欺かれていたことを知って唸らされるのだ。

物語のトーンを決める曲として選ばれたエリック・クラプトンの「レイ・ダウン・サリー」から,エンド・クレジットに流れるキングス・オブ・レオンまで,中西部の砂塵をじりじりと炙るような曲が,灼熱の会議に見事にはまっている。「愛の渦」とはまた違った意味で,スリリングな会話劇として成り立っていた演劇の映画化に成功した,優れた例だ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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