子供はかまってくれない

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映画「悪人」:キネ旬1位と2位の両方に出ている岡田将生が,実は2010年のキーパーソンだったのかもしれない

2011年01月16日 20時13分06秒 | 映画(新作レヴュー)
アカデミー賞よりも伝統のあるキネマ旬報が選ぶベストテンにおいて,2010年の邦画NO.1に選ばれたというニュースが効いたのかどうかは分からないが,札幌唯一の名画座である蠍座の通路は補助席で埋まっていた。
客層は正に老若男女,圧倒的に中高年が多い普段よりもヴァラエティに富んだお客さんが詰めかけていたように感じたが,同じくモントリオールで受賞した「おくりびと」ブームの時と同様,こういったウェルメイドなドラマが幅広い層に「地に足の着いた関心」を惹起するのは,作品に対する評価は別として,実に素晴らしいことだと思う。DVDではなく映画館のスクリーンで,じっくりと物語に向かい合いたいと願う観客が,潜在的にはまだまだ大勢いるという事実は,映画を作る側に対してもこの上ない応援となっているはずだ。

先に「ウェルメイド」と書いてしまったが,ここ数年に出てきた新鋭監督の中でも際立って平均点の高い作品を作り続けてきた李相日は,ここでも「フラガール」に勝るとも劣らないうまさを見せている。
主人公である祐一(妻夫木聡)が本物の「悪人」なのかどうかという問題を表層的なテーマとして打ち出しつつ,彼が「悪人」だったとしても,なお繋がっていたいと願う光代(深津絵里)の孤独を真のテーマに据え,それを中心とする同心円状に,親(もしくは血族)としての業に引きずられる人間を等間隔で配置して,重層的に「生きること」の意味を問う作劇術は,台詞においても絵作りにおいても安定した冴えを見せる。
ラスト近く,被害者の父親(柄本明)が,娘を笑いものにした若者(岡田将生)に対して復讐しようとするシークエンスと,詐欺にあった祐一の祖母(樹木希林)がだまし取られた金を取り返すため,悪徳会社に乗り込むシークエンスを,柄本明の独白でつないだカットバックは,弱者として生きるものの矜持を感じさせて胸を揺すぶられる。

光代の願いで始めた逃避行のデッドエンドとなる灯台周辺の,正に孤独を具体化したような断崖を活かした絵作りの巧みさも,年季が入っている。
ラストで,警官が持つライトが大挙して坂道を上ってくるカットには,「明日に向かって撃て」に対する仄かなオマージュが見て取れるし,大都市から少し距離を置いた地方都市に生きる若者を描いた,「遠雷」を筆頭とする70年代の多くの傑作への敬意も十分に感じられる。

しかし,ここまでよく出来た作品なのに,ラストで光代の首を絞めようとする祐一の目に宿った狂気が付け焼き刃に感じられ,事件を振り返る光代のまなざしに中途半端なものを感じてしまったのは,おそらくはその「上手さ」故なのかもしれない。
果たして本当に祐一は悪人だったのかという当初の問いと,殺人者に対してシンパシーを感じることの罪悪感は正当化されるのかという,おそらく永遠に答は出ないであろう問題を扱うには,あまりに安定感に溢れた演出が,逆にミスフィットだったのではなかったかという印象は否めない。
そのことを最も象徴しているのは,久石譲が手掛けた,破綻はないが,サプライズもない音楽だろう。

決して嫌いな映画ではないのだが,スタジオに籠もりすぎて,いつの間にか音の勢いを失ってしまった後期のピーター・ゲイブリエルを連想してしまった私としては,キネ旬のベストテンでは「悪人」の後塵を拝して2位に終わったが,中島哲也が一か八かのギャンブルを繰り出して,その勝負にことごとく勝利を収めた「告白」のごつごつとした手触りの方に軍配を上げたい。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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