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映画「鈴木先生」:小川さんの凛とした背筋が世界を支える

日本のテレビドラマ史上に残る傑作「鈴木先生」が,なんとスクリーン上に蘇った。ゴールデンタイムでありながら視聴率2%台。しかし,何故か打ち切りの憂き目に遭うこともなく,最後の10話までしっかり完走した上に,放送終了後にはギャラクシー賞まで受賞してしまうという,まさに劇中で次々と起こった事件に勝るとも劣らない,パラドックスだらけのドラマがだ。これを奇跡と呼ばずして,何と呼べば良いのか。
男の友情を体現したレスキュー隊が出てくる訳でも,現場で起こっている事件をノンキャリア組の意地に賭けて解決しようとする熱い刑事が出てくる訳でもないのに,教室における教師と中学生との痛みに満ちたディスカッションを軸にしたドラマが,淡々と映画化されてしまったところに,テレビ東京の懐の深さを感じる今日この頃。

「映画」と銘打ってはいるが,オープニングの曲もタイトルバックも,まったくTVドラマ版のまま。肩の力が抜けた作りは,作品全体にも通底しており,クライマックスシーンにおける小川(土屋太鳳)のジャンプ以外,スクリーンの大きさに見合うような映画的仕掛けはない。
ならば何故「映画化」をしようとしたのか?などと問うのは野暮の骨頂。鈴木先生(長谷川博己)の「どうする俺?」という独り言が劇場のスピーカーから流れ,喫煙室の淀んだ空気が場内に漏れ出し,足子先生(富田靖子)の秘技「いなかったことにする」作戦がスクリーン上で展開されるだけで,ちゃんと1本の「映画」作品を成り立たせてしまう原作(武富健治)の強度と,それを的確に掬い上げた脚本(古沢良太)の巧みさは,間違いなく「桐島,部活やめるってよ」のプロダクションに匹敵する。

ドラマの放送からほぼ2年経ち,「2-A」の面々はもの凄いスピードで成長していた。撮影時期の間隔がどのくらい空いたのかは判らないが,ドラマ版と地続きで映画化するタイミングとしては,ギリギリだったことは間違いない。鈴木先生の妄想の中で「夜の女」に扮する小川さんの艶っぽさも,未来穂香演じる会長候補の純粋な真っ直ぐ感覚も,工藤綾乃の斜め45度で世の中を見る背伸び姿も,どれもが貴重な蝶の標本のような脆さと儚い美しさに満ちている。

TVドラマと同様に,長谷川博己扮する鈴木先生の正しいグダグダ感は,リアルな頼りなさげ感でドラマを引っ張る。卒業した教え子が顔を見せに来るかどうかという,教師としての表面的なリトマス試験紙を,真正面から受け止めつつ,自らが正しいと信じる「実験」を継続する姿は,小川の凛とした背筋に充分に拮抗している。
陥穽だらけの実社会を生き延びるための様々なヒントとエールがぎっしりと詰まった「2-Aクラス」こそ,大阪市の教育委員会がモデルとすべき場所かもしれない。その意味で,彼らと同年代だけに留まらず,親世代・教師世代も必見。
★★★★☆
(★★★★★が最高)
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