1968年9 月、仕事中に上司が慌てて「山本君、今、電話があってお父さんが危篤だから、すぐ帰ってくれ!」と言ってきた。課長も来て、「病院まで車で送って行くので、すぐ帰り支度を!」と言った。
親父は腰の辺りの血管に癌ができていることがわかり、ひと月近く前から入院していた。俺も含め、家族が交替で夜の添い寝に行っていた。入院してからは手術ができない状態でモルヒネで痛みだけを押さえる状態がつづいていたから、遅かれ早かれこの日が来ることは覚悟していた。病院へ着いた時は、もう意識はなく夕方に息を引き取った。72歳だった。
親父は6人目の子として俺が生まれた年に、牛車から振り落とされる事故が原因で足と手に障害があった。そのことで、家の百姓仕事は、もっぱら母親と長男(17歳だった)がやって来た。俺には、親父と何処かに遊びに行ったという記憶はあまりなかった。
葬儀等は無事に終わり、ほっとしている間もなく、今度は遺産相続でちょっともめ事が起こった。