風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

何といっていいのか…

2009-05-30 | 社会
                 (「私の旅行記」より)

「私の新旅行記」このページは同じ町に住むMさんのホームページだ。
世界各地を旅し、美しい自然や街並、人々の暮しを綴った、写真と紀行のページ。
先日、「私の見たインド」を新しく掲載したとの知らせをいただいたので、きょう拝見させてもらった。

衝撃!
写真を見ているうちに心臓がドキドキしてきた。何といっていいか、ちょっとコメントの言葉が出てこない。Mさんは顔を背けることなく次々と写真を撮りつづけ、淡々と文を綴っているが…。

カーストによる凄まじい差別のインドの現実とその中で暮らす子だもたちの姿に、あらためて“世界のいま(現実)”を見た思いだ。

いま、見終わってこれを書いているのだが、まだ少し手が震えている。
ぜひ、みなさんにも“この現実”を見ていただきたい。

求められる“決断”

2009-05-30 | 社会
昨日、原爆症認定をめぐる控訴審判決で、東京高裁は原告の訴えをほぼ認める判決を出し、この種の訴訟で国側は18連敗となった。

判決は、認定を狭めてきた国の“基準に欠陥あり”と断じた。一連の裁判の原告は306人、そのうち認定されたのは171人、一審で勝利しながら未認定が59人。68人がすでに亡くなられ、他の原告も病と闘いながらの裁判だという。

広島・長崎への原爆投下から60数年、被爆者と証明する「原爆健康手帳」を持つ人は25万2千人(07年3月末現在)、その平均年齢は75歳で裁判の原告は79歳にもなるという。原爆が原因で病気になったと認めれたのは、被爆者の1%に満たない2242人、裁判をたたかい認定をさせてきた人を含めてやっと2%ほどだ。

「国はこれ以上裁判を続けてもムダだ。麻生総理、決断してください。不当きわまる認定制度を抜本的に改め、64年たっても人間を苦しめる核兵器をなくす先頭に立ってほしい」と原告団長は訴える。

オバマ米大統領の「核兵器のない世界」演説で、いま世界は動き始めようとしている。唯一の被爆国のトップである麻生首相の「決断」が求められている。

わが故郷が…

2009-05-24 | 日常
                  ♪淀川三十石船歌♭

先日、自転車で京・伏見に行った。
桂川を上り少し東へ、家から1時間半もあればゆっくり行ける。
連休が過ぎた後だったので比較的観光客は少なかった。
遊覧十石船が、酒蔵を背景にした濠川の枝垂れ柳の下をゆっくり往来していた。

濠川を一番下ったところの三栖閘門際に資料館があった。中に入ると人は誰もいないのにラジカセから「淀川三十石船歌」が流れていた。

淀川三十石船歌の源流については、「船頭衆は小豆島を初め西瀬戸内海の島から千人を越える出稼者だけで結束していて、淀川流域の人達は欠員補充程度しか職につけなかった。従って歌も瀬戸内海一円で広く艪漕ぎ歌として伝わっていきた」ものといわれている。(郷土摂津いにしえ通信)

傍に「船歌」の歌詞19節(写真参照・これで全部?)が展示されていた。いくつかは聞いたことがあったが、順番に見ていくうちに、何と、オレの実家の地名(村の名前)が歌われているではないか。

“此処は前島お捨の墓よ さてもさびしき浪の音”と。ここにある「前島」がオレが生まれ育ったところだ。それにしても、“お捨の墓よ さてもさびしき”とはいったい体どういうことか…。

あまりいいように歌われていない?ことに少しがっかりしたが、この歌が歌われていた頃の「前島」はどのようなところだったのか、ここに住んでいたオレの先祖はどんな人でどんな生活をしていたのか、いろいろ興味は尽きなかった。

生い立ちの景色⑫ 台風13号…1

2009-05-22 | 生い立ちの景色
1953年9月。7歳の秋。

夕べは台風13号による強風と激しい雨の音で夜中に何回も目が覚めた。夜が明けるのを待ちかねたようにおっ母といっしょに起きた。昨日の夕方から停電になっていてラジオが使えないので、その後の台風情報がわからないが、風は少し収まっているようだ。

着替えて外に出たら、もう近所の人が何人も堤防の上にいた。オレも急いで駆け上がった。淀川の水嵩がえらく上がり、土色した濁流が轟々と流れていて、向こう岸の堤防がかすかに見えるほどにもなっていた。こんなことは生まれて初めてのことだ。

昼過ぎに、村の役をしているおっちゃんが慌てた様子でやって来た。「危険水位を突破し、まだどんどん上がっとる。このままだと危ない。今、いろいろと連絡を取っている」というと、すぐ隣の家に走って行った。

おっ母は、朝から何回も家の裏手から田を眺めてはため息をついている。実りかけた稲が昨夜の風雨で全部倒れ、水に浸かってしまったからだ。
台風は遠ざかり、雨も止んだというのに、昼になっても淀川の水嵩は一向に下がらず、まだ、少しづつ増えている。夕方には、堤防にしゃがみ込んだら手が届くくらいまでになった。

ろうそくの火で晩飯を食っていたら、隣組の組長さんが息を切らして飛んで来た。「避難命令が出た。年寄りと子どもは避難ということです。役所が手配したトラックが来ますよって、すぐ準備を」と。オレんとこは結局、足の悪いおっ父と小学生のキョウコ姉ちゃんとオレの3人ということになった。

「トラックが来ました。早く乗ってください」と役場の人と村の人らが走りながらメガホンで叫んでいる。集会所に行くとすでに2台のトラックの荷台には多くの人が乗っていた。オレも尻を押してもらって乗ったが、荷台はぎゅうぎゅう詰だった。
「何処に行くんや!」とひとりのおばあちゃんが役所の人に聞いた。「とりあえず、磐手小学校に行きます」と答えると、「あそこなら安心だ。山手だし、少々のことでは水は来ん」とおばあちゃんがいった。

ブルルンとエンジンを始動したトラックはヘッドライトを灯して動き出した。堤防のでこぼこ道をトラックは左右に揺れながらゆっくりと走った。暗くて何も見えないのに、大人も子どもも、みんな黙って遠ざかっていく村の方を見ていた。

振り落とされないように荷台の縁をしっかり掴んでいたら涙が出そうになった。オレは鼻をすするようにして、涙の落ちるのを我慢した。

ついにわが町にも

2009-05-18 | 日常
朝のユキの散歩の時、新型インフルエンザによって休校になった高校の先生から「島本町でも、感染者が出た」という情報を得た。

早速、町の対策本部に問い合わせたところ、「1人の感染者を確認しました。現在、緊急に対策本部の会議が開かれています。そこで今後の対応策が出されると思います」ということ。

兵庫県→大阪府へ、そして、大阪府の茨木市→高槻市→三島郡島本町と、東海道線に沿って東へ拡大しているようだ。
今までマスコミでは大きく報道されていても、そんなに心配はしていなかったが、こんな身近での発生を聞くと、やはり心配に。

今、これを書いている最中にダンスの例会に使っている施設の担当者から電話が入った。「町内で新型インフルエンザ感染者が確認されましたので、当施設も今日から一週間閉鎖します。よって、今週の貴サークルのダンスの例会も中止ということでよろしく」と。
何はともあれ、ダンスどころではない。ここしばらくはなるべく出歩かずに家でおとなしくしておこう。

行きたくはなかったのだが、食材が残り少なくなっていたので、昼前に近くのジャスコに買出し行ったら、店内はガラガラ。
帰って町のHPを見たら、町内のすべての公共施設が閉鎖で、催しなども全部中止ということに。
町中がパニック状態になってきた。