※映画「あゝ野麦峠」の地井武男と大竹しのぶ
俳優の地井武男が亡くなった。70歳という若さで。
本職は俳優だが、最近ではスケッチ画家として、テレビタレントとして活躍していたのに…。
彼と初めて出会ったのは、1979年6月公開の映画「あゝ野麦峠」(製作新日本映画・配給東宝:監督山本薩夫)だった。
映画は、飛騨の農家の娘(多くは10代)たちが、諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出るために人買いブローカーの男に連れられ、吹雪の野麦峠を越える場面から始まる。この中に貧農の娘政井みね(大竹しのぶ)がいた。やっとたどり着いたみねたちを待っていたのは自由のない寄宿舎生活と劣悪な労働環境だった。
過酷な労働で体を壊し働けなくなったみねたちはモノのように捨てられた。みねもそのひとりになった。工場主から「引き取りに来い」との通知を受け、年老いた親に代わってみねを引き取りに行ったのが兄の辰次郎(地井武男)だった。
歩けないほど体を病んだ妹を背負っ子に乗せながら黙々と山道を帰る辰次郎。国境の野麦峠で故郷飛騨の村を見下ろしながら背中のみねに語りかけるシーンは今でも脳裏に焼き付いていて、思い出すだけでも涙が止まらない。
それ以外に印象に残るのは、五味川純平原作の『戦争と人間』(監督:山本薩夫)で、日本(関東)軍に侵略された中国東北部(満州)で日本軍や当地の軍閥に抵抗する朝鮮人匪賊の頭領徐在林を演じた地井武男。後に、監督の山本薩夫が、「実はあの時(日本人ブローカーの妻を連れ去る徐在林)の地井(の演技)には期待していなかったが…」と述べ、このシーンでの地井の演技を絶賛したことがあった。
そして、もう一つ忘れられないのは「北の国から 2002・遺言」(脚本・倉本聰)で、地井演じる「中畑和夫」が田中邦衛演じる「黒板五郎」に対し、妻がガンにより余命宣告を受けたことを打ち明けるシーン。涙と鼻水を垂しながら語る地井を見てびっくりした。
実はこの数ヶ月前に、地井は実際に妻をガンにより失っていた。シーンの撮影中、地井は亡くなった妻のことが脳裏から離れず、ほんまに泣してしまって演技ができなくなっていたのだ。
これらの作品の再放映を期待するとともに、多くの感動と、俺の生き方にも少なからぬ影響を与えてくれた俳優地井武男にありがとうを言おう。 合掌
俳優の地井武男が亡くなった。70歳という若さで。
本職は俳優だが、最近ではスケッチ画家として、テレビタレントとして活躍していたのに…。
彼と初めて出会ったのは、1979年6月公開の映画「あゝ野麦峠」(製作新日本映画・配給東宝:監督山本薩夫)だった。
映画は、飛騨の農家の娘(多くは10代)たちが、諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出るために人買いブローカーの男に連れられ、吹雪の野麦峠を越える場面から始まる。この中に貧農の娘政井みね(大竹しのぶ)がいた。やっとたどり着いたみねたちを待っていたのは自由のない寄宿舎生活と劣悪な労働環境だった。
過酷な労働で体を壊し働けなくなったみねたちはモノのように捨てられた。みねもそのひとりになった。工場主から「引き取りに来い」との通知を受け、年老いた親に代わってみねを引き取りに行ったのが兄の辰次郎(地井武男)だった。
歩けないほど体を病んだ妹を背負っ子に乗せながら黙々と山道を帰る辰次郎。国境の野麦峠で故郷飛騨の村を見下ろしながら背中のみねに語りかけるシーンは今でも脳裏に焼き付いていて、思い出すだけでも涙が止まらない。
それ以外に印象に残るのは、五味川純平原作の『戦争と人間』(監督:山本薩夫)で、日本(関東)軍に侵略された中国東北部(満州)で日本軍や当地の軍閥に抵抗する朝鮮人匪賊の頭領徐在林を演じた地井武男。後に、監督の山本薩夫が、「実はあの時(日本人ブローカーの妻を連れ去る徐在林)の地井(の演技)には期待していなかったが…」と述べ、このシーンでの地井の演技を絶賛したことがあった。
そして、もう一つ忘れられないのは「北の国から 2002・遺言」(脚本・倉本聰)で、地井演じる「中畑和夫」が田中邦衛演じる「黒板五郎」に対し、妻がガンにより余命宣告を受けたことを打ち明けるシーン。涙と鼻水を垂しながら語る地井を見てびっくりした。
実はこの数ヶ月前に、地井は実際に妻をガンにより失っていた。シーンの撮影中、地井は亡くなった妻のことが脳裏から離れず、ほんまに泣してしまって演技ができなくなっていたのだ。
これらの作品の再放映を期待するとともに、多くの感動と、俺の生き方にも少なからぬ影響を与えてくれた俳優地井武男にありがとうを言おう。 合掌