風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色56・・・危ないところだった

2019-09-09 | 社会
1966年9月。日々、青年運動に没頭。仕事が終わった後、休日も会議や集会などに出かけていた。
ある日、青年組織の会議の帰り道のこと。夕立が降りそうなので、最寄りの駅から自転車をとばしていた。
途中、人通りの少ない新幹線の下を通りかかったところで警官二人に呼び止められた。
警官は「どこへ行っていたのか?」「鞄の中に何が入っているのか?」など尋ねてきた。
俺はピーンときた。というのも、時の権力は警察組織などを使って共産党や労働組合、青年組織を弾圧、懐柔してくるから注意をと聞かされていたからである。
「そんなこと、言う必要はない」と警官の制止を振り切って自転車に乗ろうとしたら、もう一人の警官が「怪しい」といって自転車を強く抑えながらもう一人の警官に「パトカーを持ってこい!」と指示した。警官は、近くに停めてあったパトカーに向かって走った。
これはやばい、下手するとパトカーで連行?されると一瞬ひるんだ。
その時に、道の反対側を一人の人が自転車で通りかかった。それは、同じ村の俺より3つくらい上のお兄ちゃんだった。
俺は手を上げて「ちょっと来て!」と大きな声で叫んだ。その兄ちゃんは「どうしたんや?この人は同じ村の人や。怪しい人ではない」と言ってくれた。この言葉に、警官もこれ以上俺を拘束することができなくなり、とりあえず一件落着となった。
これは推測だが、たぶん、会議場を出るところから監視していて、無線で連絡を取ってここで捕まえ、本署に連れて行くことを計画していたと思われる。なぜなら、この日、他のところでも同じような事が起こっていたからだ。
会社、警察ぐるみで民主的組織を弾圧するという戦前のような卑劣な行為ががだんだん激しくなってきた。

「しんぶん赤旗」との出会いと今

2019-06-27 | 社会
以下は、地元の共産党(JCPしまもと)から要請され、「しんぶん赤旗読者ニュース」(2019年5月号・月刊)に寄稿した一文です。同ニュース編集部の了解のもとに紹介します。

「どきどきした出会い」
 中学校を卒業して、テレビを製造する会社に就職した。時は昭和36年、一般家庭にテレビが普及し始めた頃。
 事業所には、3000人くらいの労働者が働いていて、労働組合運動も盛んだったが「60年安保」のすぐ後で、会社による組合弱体化の攻撃もあり、いろいろな騒動?が起きていた。18歳頃だったか、職場の先輩から昼休みの更衣室で広告紙に包まれたあるもの?を「一度、読んでみて」と渡された。周りに誰もいないことを確認して、そっと開けてみたら「赤旗」だった。胸がどきどきした。「赤旗」とは、それ以来の付き合いで、55年くらいになる。
「ありがとう『赤旗』」
 こんなこともあった。就職試験の面接で面接官から「共産党は世間から嫌われているが、どうしてだと思いますか?」と聞かれた。共産党を意識した?最初だった。
 青年運動に没頭していた若い頃、会社から差別攻撃を受けて悩んだ時、「早期退職」という名のリストラとたたかった時、そして今。いつもそばに「赤旗」があった。
これからもよろしく!

久しぶりのサイクリング

2019-05-03 | 社会
いろいろ忙しい春が過ぎ、久しぶりに淀川沿いをサイクリングしてきた。
1メートルくらいに延びたヨシが風に揺れ、眩しいほどに、水面がきらきらと光っていた。
タイヤのジワジワという音を聞きながら、薫風を受けながらゆっくりと漕いだ。
枚方橋でUターンして左岸を八幡まで。淀川へ注ぐ小さな川にも多くの鯉が産卵のために遡上していた。
八幡駅前のコンビニで調達した昼食を近くの公園の木陰でいただく。しばらくうとうととする。
ゆっくり休憩したあと、背割り堤に寄って早めの帰路についた。久しぶりで、少し疲れた。

苦悩し、たたかうジャーナリスト

2016-11-01 | 社会

30日に、現毎日放送報道局番組センター ディレクターの斉加尚代氏の講演を聞く機会があった。
話は、自身が製作に携わった「MBS 報道 ドキュメンタリー映像´15(2015年09月27日深夜放送)『なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち~』を製作して」という題だった。
「沖縄の新聞2紙を潰せ」と攻撃を受ける中、一貫して沖縄県民の立場からペンをとりつずける「琉球新報」の編集局記者を取り上げたものだった。
昨今、商業大手新聞の読者減がつづき、読者の購読料より企業(それも大企業の)広告収入の方が多くなる中、大企業に厳しい記事が書けなくなってきている状況に置かれている。
新聞の紙面を見ても、半分以上が企業広告で占められていて、直接紙面を作ることに携わ人員よりる広告取りに必死になって動き回る社員が多くなり、社内には、広告取りに携わる社員の方が紙面つくりの人たちより「幅を利かす」という状態があると言われている。

斉加さんは「テレビ報道の職場環境」「評価のモノサシが変化」してきていて、権力の攻撃に対して「配慮や忖度」、「報道職場が委縮」していることが非常に心配と、実感を込めて語られた。
そのうえ、番組作りについて「経済に左右=経費削減」「過酷な労働環境」「コンプライアンスの要請」「視聴率」という環境の中で、ますます番組つくりが厳しくなってきていると述べられた。
そして最後に、「いま、私たちジャーナリズムに求められるものは「どこを向いて仕事をするのか、誰のための公平性か」が問われていると語られた。

ジャーナリズムの置かれている厳しい状況の中で良心と正義感を持って頑張っておられる方たちに敬意を表したい。