風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

ユキが天国に・・・

2014-03-29 | わんちゃん
わが家のワンちゃん、ユキが昨夕天国にいっちゃいました。14歳8か月のおばあちゃんでした。
一年くらい前から時々発作を起こすようになり、今年になってからは認知症のようになっていました。
歳も歳ですから、その日が来ることは覚悟はしていましたがやっぱり悲しいです。

ここ一月くらいは、それまで旺盛だった食欲もなくなり夜も昼もわからない状態でした。
もっぱら夜を世話しているおばちゃんがだいぶ疲れていたので、この三日間の夜はオッチャンが添い寝をして世話をしてやりました。

昨日の朝もいつも通り少しだけ散歩しましたが、午後から容態が悪くなり、一時間くらい鳴いていましたがおばちゃんに抱っこされて寝付いたのでソファの上でそのまま静かに寝ていたのです。
そして、夕方の6時頃に苦しまずにそのまま息を引き取りました。
きょうペットの葬儀屋に来てもらいました。

〝ユキとの14年間は楽しかったよ。ありがとう〟といってお別れしました。
ユキも〝おばちゃん、おっちゃん、みんなありがとう。ワン!〟といっているような穏やかな顔をしていました。

ブログでお付き合いいただきましたワンちゃん仲間のみなさん、ありがとうございました。

「世界水の日」

2014-03-24 | 社会
3月22日は国連が定めた「世界水の日」だという。
ユネスコによると、質の良い水を使えない人々は世界で7億6千万人いるという。

この日、国連の潘基文事務総長らは水とエネルギーをすべての人が平等に使えるようにすることを呼びかけました。
ユネスコのバコバ事務局長はこの中で、「清潔な水を利用できるようになることは、無数の少女たちが何㌔も歩いて水を汲みにいく代わりに学校に通えるようになるということだ」述べています。

私の家に水道がついたのは、中学生の頃だった。それまでは、井戸から手漕ぎポンプで汲み上げていた。その水は鉄気(かなけ)が多くそのまま使えないので、炭を入れた砂の漕で濾して使っていた。
また、風呂の水は、家から50㍍ほど離れたところにあった井路(農業用水路)からバケツで運んだ。
これは、子供らの仕事だった。満杯になったバケツの水をこぼさずに両手に持って歩くのはコツがいった。5、6回往復して運んだ。
このことで、学校に行けなかったことはなかったが、毎日夕方になるとみんなとの遊びを抜け出して水汲みに走って帰った。

昔では考えられなかったが、今では水道水だけではなく、「何やら水」とかを買うことも珍しくなくなった。
これらの水を作るお金とエネルギーの何分の一でも、清潔な水を使えない人たちの支援にと思う。
私もたまにはペットボトル入りの水を買うことがあります。今後は、清潔な水を使えない人たちのことを考えると、少し複雑な気持ちになります。

生い立ちの景色(44) 1年ぶりの母校

2014-03-11 | 生い立ちの景色

1962年1月。15歳の冬。
年が改まった。今日は、年休を取って一年ぶりに去年卒業したばかりの母校(中学校)を訪れた。たった一年だが、少し懐かしい感じがする。
裏門を入ると左手に大きなクスノキがあり、その奥には、戦争中に連隊の隊舎になっていた木造の二階建ての校舎があった。
この建物の2階が音楽教室になっていて、この日も、音楽の授業中らしく、そこからクラシックの曲が聞こえてきた。
そこを右に折れて、まっすぐ進んだ突き当りに職員室があった。

今日、学校に来た目的は、定時制高校を受験するためには中学の時の「成績表」が必要だということなので、それをもらうためだった。
職員室には3年の時の担任だった先生は不在だったが、そこにおられた女の先生にその旨を伝えると「一年遅れたけど、その気になったんやね」といって喜んでくれた。そして、「休みを取って、また成績表を取りに来てもらうのは大変やから家の方に送わね」ということになった。帰り際に「ぜひ頑張ってね」と励まされた。

定時制に行っている職場の先輩に聞いてみると、「定時制は定員に満たないことが多いので、よっぽど点数が悪くない限り落ちるとことはない」という。
一応、受験用の問題集などを買って、ここ3か月くらいは、それなりの受験勉強をしてきたのでそれほど心配はしていないが、やはり少しの不安はある。

実は、この受験のことは家の誰にもいってなかった。どうしてかといえば、落ちた時にかっこ悪いということもあったが、行くことになっても親にお金を出してもらうわけでもないし、そんなに負担をかけることはないと思っているからだ。もちろん、合格したらちゃんと言うつもりだ。

試験まであと2か月。受験勉強といっても勉強用の机もないし、起きていると寒いし、ということで、受験勉強は、毎晩布団に入って腹ばいになって問題集とにらめっこということになった。
仕事に疲れているのか、毎晩、勉強もそこそこで、すぐにバタンキューの夜がつづいた。

「戦争をさせない1000人委員会」を全国に

2014-03-08 | 社会

3月5日に、安倍政権の「戦争できる国」への暴走に危機感をもつ著名人らによる「戦争をさせない1000人委員会」が発足し、会への参加を呼びかける「アピール」が発表されました。
会への参加の呼びかけや、アピール、呼びかけ人などの詳しい内容は、「会」のホームページ(を見ていただきたいと思います。

最近、わたしの周りでも、保守的な人を含めて、今の安倍政権のあまりの暴走ぶりに疑問や批判を持つ方が多くなってきています。
今回の呼びかけに応えて、ぜひ、わが町(大阪府三島郡島本町)にも1000人委員会を作っていけたらと思います。
島本町は、人口が約30000人ですから、すぐに1000人は難しいですが、当面100人委員会くらいを早急に発足させ、全町民の方に呼びかけられたらいいのではと考えています。
がんばります。

早春の淀川

2014-03-03 | 趣味
久しぶりに自転車で出かけたが、北風がビュービュー、途中からは粉雪が舞うほどの空模様に。また、冬に逆戻りのような春先の天気だった。

先月の23日には、春を呼ぶ風物詩のとなっている河川敷のヨシ焼きが終わって、焼け跡は一面が黒く灰で覆われていたが、よく見てみると早春の息吹を感じさせる新しい芽が所々に顔を出していた。

   

昨年の秋には、上流に降った大雨によって、ここ数十年なかった危険水位に達するほどの水位になり、河川敷のスポーツ施設や本流沿いの護岸などに大きな被害が出た。あれから半年経つが復旧は進まず、未だにあちこちにその爪跡を残している。

今回の大水はヨシ原やそこに生息するさまざまな生物にも大きな影響を与えているのかもしれない。ちょっと心配だ。
例年なら、もう少しすると焼け跡から一斉に噴き出すように新しいヨシの芽が出てくるのだが、果たして今年はどうなるか。ヨシ原の保護活動をされている人たちも、固唾を飲んで見守っていることだろう。