1967年8月。この年の2月で二十歳になり、酒もたばこもOKとなった。自治体主催の成人式に参加したが、それほどの感激は無かった。入社時(15歳)に157センチだった身長は18歳の時には176センチになり、その後の伸びは止まったようだ。
テレビ製造工場に就職したのに、入社以来のこの5年間余は電気とは関係のない仕事ばかりだった。ところが、テレビセットのキャビネットを作る仕事が下請けに出されることになり、所属していた職場がまたまた無くなり、職場移動になった。
移動先の職場では、テレビセットの心臓部に属するシャーシーの電気調整・点検の作業についた。ただ、電気関係の知識がほとんどなかったので、この夏の2か月間の休日の土曜日の午前中は、電気の一からテレビの修理までを学ぶ講習会(もちろん無給)に参加した。その意欲を買ってくれたのか、半年後からは一部テレビの修理を含む仕事につくことになり、やりがいを感じながら日々を送っていた。
職場には、工場のラグビー部の主将のYさんがいた。ある日、Yさんから「君は体格がいいから、ぜひ、ラグビー部に入ってくれ」「この秋に社内の交流大会があるが、メンバーが足りない。」と言われ、「ルールも何も知らないし・・・」と躊躇していると、「明日から仕事が終わったらグランドに来てくれ。靴もパンツもシャツも用意しておくから」と。仕事での先輩でもあるYさんからの頼みだから断ることもできず「はい。わかりました」と返事をした。大会まで日にちがないので、仕事後、暗くなるまで週に2回の練習が始まった。
9月、大阪万博が閉幕した。延べ入場者数約6422万人だったそうだが、俺は一回も行かなかった。