風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

初夏の海

2013-05-28 | 日常
電車なら一時間程で行ける須磨海岸(兵庫県)に行ってきた。
JR須磨駅、改札口を右(南側)に出ると目の前に須磨海水浴場の砂浜が広がっている。

地の人に聞くと「来週あたりから海開きの準備が始まり、売店が出ると一気に賑やかになる」とのこと。
この土・日にも、そこそこの人出があったらしいがきょうは平日、閑散としていて釣りをしている人が何人かいるくらいだ。

すぐ前の突堤の釣り人に声をかけてみた。「家は近いので自転車で来た。週に半分くらいは来てる」と言う。何処から来たのか?と聞かれたので、「大阪府の島本町から」というと、「勤ていた水道工事会社が高槻市だったから島本町にもよう行ったことがある」という。人はわからないものだ。

「どうですか」と聞くと、「この季節、藻が多くてアカンわ」という。魚籠を見ると25㎝くらいのガッチョ(メゴチ)が一匹。
「大きいガッチョですやん。これやったら天ぷらにできますね」というと「そうや、開いて天ぷらにしたら酒のアテに最高や」と。男どうし、酒飲みどうしの会話はすぐに成立する。話している最中に、竿先にブルブルとした当たり、20㎝くらいの型のいいキスが上がってきた。

「がんばって釣ってください」と言い残し、西の方に砂浜を少し歩いてみた。薄曇りで暑くなく、少し風があり、ザーザーと寄せては引き返す波の音が心を癒してくれる。
いろんな形の小石、ちょっと遠慮がちに咲いているハマヒルガオ、打ち寄せられた古木、赤錆びたバイクの残骸…いろいろある海岸だ。ちょっと人間社会の縮図を見ているようだ。

交通費は2千円ほどかかったが、逢いたかった海に久しぶりの逢えて気持ちが少しリフレッシュできた。さあ、明日から頑張らなければ。

   
   

夏の海を見るとこの歌を唄いたくなる。
「サマーソング for you 」杉田二郎さん


声明 「私たちは、これまでの道を今後も歩み続ける」

2013-05-25 | 社会

昨日(25日)、橋下徹市長との面会を拒否した二人の元従軍慰安婦が出された「声明」です。
全文を紹介します。

【橋下市長面談に対する私たちの立場】
日本軍「慰安婦」生存者である私たちは
日本維新の会共同代表橋下徹大阪市長との面談を拒否します


日本軍「慰安婦」生存者である私たちは、日本での7月参議院選挙を目前に控え、日本市民と政治圏に再び日本軍「慰安婦」問題解決を訴え、戦争のない平和な社会づくりに連帯するため、5月18日から福山・沖縄・広島・岡山を経て大阪・奈良をまわり歴史の真実を日本市民社会に伝えています。
そして、私たちは橋下市長が自身の妄言を撤回し謝罪するために会うと理解し、24日に橋下市長と会うことにしました。

■橋下市長は面談の対象ではなく「審判」の対象
日本証言集会のさなかである5月19日、私たち生存者は橋下大阪市長、石原東京都知事らが共同代表の維新の会が「橋下の『慰安婦は必要だった』発言を撤回しないことで一致した」と明らかにした報道に接しました。橋下市長はその後も強制性を否定する立場などを連呼し、胸を引き裂かれる思いでした。
私たちは今年86歳と88歳になります。引き裂かれた胸を抱いて橋下市長に会うことを考えると、妄言を任務と課す張本人を前にすること自体が恐ろしく大きな精神的衝撃となっています。ひとすじの期待をかけて面談しようとしましたが、それは純真な考えであったと「反省のない」橋下市長の続く妄言が答えています。ここに、橋下市長は面談の対象ではなく、「審判」の対象であるだけだと再度明らかにします。

■橋下市長の仕組まれた謝罪パフォーマンス、シナリオに合わすことはできません
5月18日からの証言集会を行う過程で日本の記者から入手した情報によると、24日の面談で橋下市長は、謝罪パフォーマンスを企て、その上ひざまずいて謝るという一過性のマスコミ操作を準備していることがわかりました。
この謝罪パフォーマンスは、反人権的な発言がアジアの良心的な市民社会はもちろん、国連や米国務省・米議会などの批判で困難に陥るや、自身の立場を守ろうとひねりだされた脚本であると断言します。
終わらない被害者の胸痛む現実と歴史を、橋下市長の謝罪パフォーマンスと引き換えにすることはできません。二度も踏みにじられる必要はありません。

■世界平和市民と一緒に前進するのみ
私たちはその場しのぎで臨機応変に術策を変える橋下市長に会う価値も理由もないと判断しました。橋下市長との面談を拒否します。橋下市長が心から私たちに申し訳ないと感じ反省するならば、自身の口から出た犯罪に等しい妄言を撤回し、公式謝罪しなければならないと考えます。そして、政治家として間違いに対する責任をとり、政界から引退することを望みます。私たちは、これまでの道を今後も歩み続けるのみです。

2013年5月24日
日本軍「慰安婦」生存者 金福童 吉元玉

橋下市長の残された「選択」

2013-05-24 | 社会
ニュースによると、橋下徹大阪市長と元慰安婦との面会が、元慰安婦側からの申し入れで急遽中止になった。

報道によると、面会拒否の理由について2女性は「橋下市長に会うこと自体が大きな精神的衝撃になる」「政治利用される心配もある」と言っている。また、「橋下市長が仮に面会で謝罪したとしても、本心からではないのは明らかだ」「被害者の声に耳を傾け、発言を撤回するようなことはないと確信した」と述べているという。

暴言に謝罪も撤回もしないで、言い訳ばかりをつづけている橋下市長。この場を、自身に対する批判をかわすパフォーマンスの場にして、逃げ切ろうとしていた思惑が外れたのではないか。

ツイッターで吠えまくる彼だが、今のところ(午後3時現在)、このことについては何も語っていない。たぶん、夕方の囲みの記者会見でまたまた言い訳ぶったコメントをするだろう。でも、〝もう聞きたくないよ〟というのが、多くの国民の気持ちではないだろうか。

もはや、彼に残された選択は、謝罪、撤回、そしてすべての公職からの辞任でしかないのではないか。

ここにも「ブラック企業」が

2013-05-24 | 社会
先日、私の勤めていた事業所の後輩の一人であるS君から数年ぶりに電話がかかってきた。
彼曰く、「茨木(事業所)で仕事がなくなり草津(滋賀県)に応援に行っているが、家庭のことや本人の身体のことを無視した作業をさせれれている。こんなこと許されるのか」というような内容だった。

聞いてみると、「糖尿病を患っていて治療をつづけていて、医者からも『無理な作業は病気のために控えた方がいい…』といわれている。そのことを上司に言ったら、『何時になったら治るねん。治す計画を出せ』といわれて、こちらの言い分を聞いてもらえず、キツイ作業をさせられつづけている」という。

彼は、これまで3度の「早期退職」奨励のリストラを経験し、「退職強要」といわれるような「面談」をはね返して働きつづけている。「まだ、定年までだいぶあるし生活のことを考えるととても辞められな」「こんなやり方は、辞めさせるためのいやがらせでしかない」と怒りを表わします。
早速、一緒に活動していた、労働組合・電機情報ユニオンの仲間に相談に乗ってやってほしいと連絡して、本人にもそのことを伝えました。

最近、「ブラック企業」のことが問題になっています。採用した若者を、長時間・過密労働やパワハラなどで使い倒して退職に追い込み、また採用をするという「使い捨て」を繰り返す企業のことです。
先日の衆院予算委員会で日本共産党の山下芳生議員が、大手衣料品メーカー「ユニクロ」の闇(ブラック)の実態を取り上げていた。(下の動画を参照ください)

財界の要求に応えて、「アベノミクス」の名のもとすすめようとしている労働のさらなる「規制緩和」は、「名ばかり正社員」「解雇の自由」「サービス残業の合法化」などをいっそう広げ、雇用ルールを破壊するものです。
企業競争の名のもとに、こんなことが日本中に広がれば、日本中の企業が「闇」の職場、「ブラック」企業になってしまいます。

最初に紹介したS君が働く企業はあの有名な故松下幸之助氏が興し、数年前に会社名を漢字からカタカナに変えた世界的な大企業です。
以前、この会社は「明るい〇〇(ブランド名)」を宣伝文句にしていましたが、現在の職場の実態を聞いてみると、これとは反対の「暗い(闇の)〇〇」というような「ブラック企業」になってしまったようです。
この会社、私が44年11か月間お世話になって来ただけに、ほんとうに残念です。

ブラック企業根絶を:日本共産党山下芳生

海が恋しくて

2013-05-24 | 日常
まだ5月だというのに日中は30度を超える暑い日がつづいて、ちょっと涼が欲しくなる頃になりました。
そろそろ海が恋しくなります。

私が生まれ育ったのは大阪府高槻市でしたから、海には遠く、それまでは泳ぎといえば、もっぱら池や井路(池と池を繋ぐ水路)、そして家の前を流れる淀川でした。
私の記憶では、初めて海と出会ったのは小学4・5年生の頃、学校の遠足?で大阪府堺市の浜寺海水浴へ行った時です。
その時の印象というか衝撃は、〝なんと広いのか。この海の向こうは何処につづいているのか〟だったように思います。

その後、2度目の海との出会いは社会人になってからです。職場の友達らと毎年、日本海の若狭の方へ海水浴に行くようになってからです。この頃の海には、いろいろな青春の想い出があります。
結婚して子供ができてからは家族みんなで、福井県の日引というところの民宿に子供が大きくなるまで毎年通いました。子どもたちに祖父母がいませんでしたから、里帰りのような感じで親類のような付き合いをさせていただきました。
そして、30代後半から50歳くらいまでは海釣りに凝って、関西のあちこちの海に出かけました。

ところが、今は、釣りにもあまり行かなくなり、海に行くことはめっきり減りました。減ったというより、海に行く目的がなくなったのです。
先日、他の用事で出かけた時に少しでしたが電車の窓から海(大阪湾でしたが)が見えました。すると、何とも言えない懐かしい気持ちになり、海に会いたくなりました。

そんなことで、近々〝海に会いに〟出かけようと思います。
なんか、昔の恋人?に再会するようで、ちょっと胸がドキドキします。
オッサンが一人で海辺を歩いていても、画にもならない、ちっともロマンチックでないって?
そんなことは百も承知なんですが、久しぶりにどうしても海に会いたいのです。とにかく行ってきます。

おやすみ旅人よ 杉田二郎