風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

NHKに抗議の電話

2014-01-29 | 社会
NHKの籾井勝人会長が25日の就任会見で、「慰安婦は戦争国のどこにもいた」、NHKの国際放送について「政府が右と言えば、左と言うわけにはいかない」、秘密保護法については「一応(国会)通ちゃたんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない」と発言。

受信料を納めている一人として、黙ってはいられないのでNHKに電話した。
「マスコミでも大きく報道され、視聴者からも批判の声が出ているが、NHKは、あの会長発言をどう思っているのか。会長は辞任すべきではないか」というと、「発言が適切でなかったと取り消している。NHKのホームページ上で、視聴者の皆さんにはその旨を知らせている」という返事。

「視聴者から批判や抗議の声は寄せられているでしょう?」というと、「はい、たくさんいただいています」と。
「NHKのホームページには、『NHKの行っている公共放送という仕事は、政府の仕事を代行しているわけではありません。国営放送でも半官半民でもありません」「放送法は、NHKがその使命を他者、特に政府からの干渉を受けることなく自主的に達成できるよう、基本事項を定めています」と書いてある、あの会長発言は、それを逸脱しているのではないですか?」といううと、返ってくるのは、「あなた様の声は、しかるべき部署に届けます」と言う決まり文句だけ。

実は、電話対応する人たちが正規のNHKの職員ではなく、委託会社の人だということを以前から知っていたのですが、改めて聞いてみた。「あなたたちはNHKの職員ではなく、委託会社というか請負会社の方ですね」というと、ちょっと申し訳なさそうな感じで「はい」ということだった。
「あなたたちのことを、どうのこうのというつもりはありませんが、責任ある返答をしていただくためにも、視聴者の声を聞く部署の方には正規の職員を配置する必要があるのではと思います。ぜひそのことも伝えておいてください」と言った。
「NHKをよく見るし、いい番組も多いと思っているのです。時の政権に追随することなく、視聴者、国民の立場にしっかり立った番組づりと放送を期待しているんです」と注文を付けた。

安倍首相は、マスコミ経営者や幹部との会食を繰り返し、NHKに対しては、自らの“お友達”を経営委員に大量に送り込むなど、マスコミ対策を強めている。
今回の事態は、籾井氏のNHK会長としての資格が根本から問われることは当然だが、同時に、NHKを「国営放送」と呼んだ百田尚樹氏らを経営委員会に送り込んだ安倍内閣の責任も鋭く問われなければならない。

ワンちゃんの介護で

2014-01-27 | わんちゃん

うちのワンちゃんユキが去年の夏前から調子が悪くなり、一時は、そう長くは持たないのではと思っていたが、その後の治療(薬)が効いたのか、ここ半年くらいは持ち直しています。
時々起きていた発作も、頻度が少なくなり、2、3日に一回くらいになりました。

ただ、夜と昼の違いがわからないようになったみたいで、夜中にも2、3回目を覚まして起き上がるのです。
その度に、しっこをさせて、水と少しのフードを与えなかったら寝ないのです。
一日24時間内、3分の2くらいは寝ているのですが、起きた時には、食べ物を要求して、吠えて家の中を徘徊?するのです。
病気になる前は、じゃれた時にちょっとワンワンというくらいのいい子だったのに。

そんなことで、今は、ユキだけ残して家を空けることもできません。誰かが介護として家にいなければならず、飼い主であるわれわれ人間の生活がいろいろ制約されているのです。
もう、14歳半でかなりの高齢です。これからどれくらい生きるかわかりませんが、生きている限り世話をしてやろうと思っています。

今は、すやすやといびきをかいて寝ています。

生い立ちの景色(43) 買った本

2014-01-25 | 生い立ちの景色
1961年10月。
小学校の同窓会の案内が来た。中学生の3年間はやらなかったので、3年半ぶりだった。
多くは、同じ中学校で、その3年間も顔は見ていたのでそれほど久しぶりだという感じはしなかった。

当日は、京都の阪急電車嵐山駅に集合となった。いろいろ用事もあって、総勢40人の内、3分の2くらいの参加だった。
進学組はほとんど来ていたが、就職組の参加が少なかったのは少し残念だった。
中学を卒業して半年、進学組はそうでもなかったが、就職組の奴らは15、16歳だといっても髪型や服装が少し「勤め人」らしくなっていた。

ぶらぶらと話しながら嵐山を散策し、昼は川岸の公園でそれぞれが持参した弁当を食った。
昼食後は、適当に集まって話をしていたのだが、どうしても進学組と就職組が別れてグループになっていた。
話の内容が、進学した学校のことだったり、就職した会社のことが多かったせいもあるだろう。

俺は勉強が嫌いではなかったが、何のためらいもなく就職することした。
進学組の奴らが楽しそうに高校生活のことを話しているのを聞いても、それほど就職を選んだことに大きな悔いはなかった。
ただ、就職したT子さんが夜間高校に通っていることを耳にして、「そんな道もあったのか」と、この日、布団の中に入ってからもそのことが頭から離れなかった。

翌日、職場の一年先輩で定時制高校に通っているKさんに、学校の様子や、仕事との両立などについていろいろ聞いてみたら、「いろいろしんどいこともあるけど楽しいよ」といった。
まだ、決めたわけではなかったが、この日、帰りに本屋さんに立ち寄り、「高校入試問題集」を一冊買って帰った。

久しぶりに淀川に

2014-01-22 | 日常
昨年の秋から足を故障したのと、このところの寒さに負けて、しばらくチャリ歩(自転車で散歩)から遠ざかっていました。
天気も良く、少し暖かかった月曜日にぶらりと淀川に出かけました。
淀川と言えば、昨年の秋に近年にないほどの洪水に見舞われました。水位が堤防から数メートルのところまでになったのは、たぶん、数十年ぶりだったのではないでしょうか。

  

河川敷の樹木が根から引きちぎられたり斜めに倒れたままだったり、護岸の石積みが無残に流されていたり、また、中洲の形状もずいぶん変わるなど、まだまだ洪水の爪痕が多く見られました。
ただ、鵜殿(高槻市道鵜町)のヨシ原のヨシは、多くが刈り取られた後でしたが、それほど被害を受けてないように感じました。
ヨシ原の中の地道には、数センチくらい泥が堆積していましたが何とか走れました。風にゆれるヨシを眺めながらゆっくりペダルを漕いでいると、母の懐に帰ってきたような気持ちになりほっとします。

  

ここのヨシ原は淀川河川敷の自然保存区域になっていて、ここで採れるヨシは雅楽器の篳篥の吹き口(リード)になるほどの貴重なものです。
いま、ここに第二名神高速道路の橋の建設が計画されていて、関西地方のテレビや新聞でも、この問題が取り上げられ注目を浴びています。
ここ鵜殿は私が生まれ育った前島(高槻市)の隣村です。それだけに、この問題の行く末がたいへん気になります。
何とか、この貴重なヨシ原が末代まで残ることを願っています。
保存運動に少しですが協力させてもらっています。
※鵜殿のヨシ保存会のHPはここから。

〝倍返し〟の始まり

2014-01-20 | 社会
昨夜、8時過ぎ、テレビを観ていたら〝沖縄・名護市長選挙に稲嶺進氏当確〟のテロップが。
「ヨシッ、やったー」と思わず立ち上がって握りこぶしのガッツポーズをした。
安倍政権の卑劣な強圧による新基地建設にきっぱりノーの意思を示した名護市民の勇気ある審判に心から握手を求めたい気持ちだ。

稲嶺氏は選挙中「政府が権力をむき出しにしても名護市民はお金やどう喝に屈しない。市民・県民の誇りを示そう」と訴え、当選後の記者会見では「市長として環境や市民の安全・安心を守る先頭に立つ」とのべるとともに、基地建設については「辺野古埋め立てを前提とした協議はいっさい拒否する」と表明した。

政府は、この審判を重く受け止めて、辺野古への新基地建設を断念し、普天間基地の撤去をアメリカにつよく求めるべきだ。
今回の結果は、安倍政権の、暮らし、平和、民主主義を壊す暴走政治への国民の反撃、「倍返しの」始まりであるとともに、安倍暴走政治崩壊の始まりかも知れない。
次は、東京の知事選挙だ。がんばろう。