1958年7月。12歳の夏。
校庭の北側に、春から工事していたプールがやっと完成した。明日、お披露目があるというので、6年生の男子数名が放課後その準備を手伝わされた。
プールの周りの金網に紅白の幕を張り、プールサイドにテントも立てた。教頭先生も役所やPTAの人と式の打ち合わせをしていた。担任の先生の指導でコースを仕切るウキ一つひとつをロープに通したやつを7本完成させ、それを取付けてほぼ準備は完了した。
実は、明日の式の時にオレを含めて6年生男子8名が「初泳ぎ」をすることになっていた。晩ごはんの時にその話をしたら、おっ母が、「明日は何をはいて泳ぐんかい」といった。いままでプールで一度も泳いだこともなく、泳ぎと言えば淀川や池ばかり。だから、泳ぐときは80円の黒の木綿地の“三角ふんどし”だった。
オレは返事に困り、「ふんどしで…」と言いかけたら、おっ母が、「ぎょうさんの人が見に来るんやろ。ふんどしではなあ~。」と言い、ちょっと困ったという顔をした。そして、イサム兄ちゃんに、「おまえ水泳パンツ持ってるやろ。それを貸してやって」といった。
風呂上りにそのパンツを穿いてみた。「こんなんや」とみんなに見せたら、おっ母が、「ちょっと大きいが紐を締めたらええがな」といった。オレは、ちょっと柄が派手やなあと思ったが、まあ、ふんどしよりましかと自分に言い聞かせて、パンツを折りたたんでビニール袋に仕舞った。
当日は朝からいい天気で、教頭先生の司会で式が始まった。プールの中には校長先生や市会議員、PTAの役員などが入り、生徒の多くは外の金網越しに式を見守っていた。順番に偉い人のあいさつやが終わって、いよいよオレら初泳ぎする番だ。
先生の笛を合図にオレは真ん中の4コースの飛び込み台に上がった。飛び込みができない何人かは水の中からのスタートだった。次の笛で頭から飛び込んだ。一瞬、パンツがずり落ちそうになったが、なんとか腰骨の下あたりで留まってくれた。みんなは平泳ぎだったが、オレは去年あたりから練習してた得意のクロールで25mを泳ぎ切った。もちろんダントツだった。
水の中でずり落ちそうになったパンツを引き上げてからプールサイドに上がった。礼をするとみんなが拍手してくれてうれしかったが、ぶかぶかで派手な大人柄のパンツはやっぱり恥ずかしかった。
校庭の北側に、春から工事していたプールがやっと完成した。明日、お披露目があるというので、6年生の男子数名が放課後その準備を手伝わされた。
プールの周りの金網に紅白の幕を張り、プールサイドにテントも立てた。教頭先生も役所やPTAの人と式の打ち合わせをしていた。担任の先生の指導でコースを仕切るウキ一つひとつをロープに通したやつを7本完成させ、それを取付けてほぼ準備は完了した。
実は、明日の式の時にオレを含めて6年生男子8名が「初泳ぎ」をすることになっていた。晩ごはんの時にその話をしたら、おっ母が、「明日は何をはいて泳ぐんかい」といった。いままでプールで一度も泳いだこともなく、泳ぎと言えば淀川や池ばかり。だから、泳ぐときは80円の黒の木綿地の“三角ふんどし”だった。
オレは返事に困り、「ふんどしで…」と言いかけたら、おっ母が、「ぎょうさんの人が見に来るんやろ。ふんどしではなあ~。」と言い、ちょっと困ったという顔をした。そして、イサム兄ちゃんに、「おまえ水泳パンツ持ってるやろ。それを貸してやって」といった。
風呂上りにそのパンツを穿いてみた。「こんなんや」とみんなに見せたら、おっ母が、「ちょっと大きいが紐を締めたらええがな」といった。オレは、ちょっと柄が派手やなあと思ったが、まあ、ふんどしよりましかと自分に言い聞かせて、パンツを折りたたんでビニール袋に仕舞った。
当日は朝からいい天気で、教頭先生の司会で式が始まった。プールの中には校長先生や市会議員、PTAの役員などが入り、生徒の多くは外の金網越しに式を見守っていた。順番に偉い人のあいさつやが終わって、いよいよオレら初泳ぎする番だ。
先生の笛を合図にオレは真ん中の4コースの飛び込み台に上がった。飛び込みができない何人かは水の中からのスタートだった。次の笛で頭から飛び込んだ。一瞬、パンツがずり落ちそうになったが、なんとか腰骨の下あたりで留まってくれた。みんなは平泳ぎだったが、オレは去年あたりから練習してた得意のクロールで25mを泳ぎ切った。もちろんダントツだった。
水の中でずり落ちそうになったパンツを引き上げてからプールサイドに上がった。礼をするとみんなが拍手してくれてうれしかったが、ぶかぶかで派手な大人柄のパンツはやっぱり恥ずかしかった。