風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

カラオケ「一本の鉛筆」

2014-07-30 | 社会
昨日、カラオケで一人の女性が「一本の鉛筆」を歌われた。
歌う前に、「私、美空ひばりと同い年なの」といいながら。

この歌は、美空ひばりが広島平和音楽祭で歌ったことは知っていたし、これまでも聴いたことはありました。
ただ、歌詞の全部を見るのは初めてでした。ディスプレイに映る歌詞のテロップを見ながら、改めてその意味について考えさせられました。
今日、ネットでこの歌と美空ひばりのいきさつを知ることができました。(詳しくは「Wikipedia」で。)

残念ながら、広島音楽祭は1993年開催の第20回大会をもって終了しました。
この歌が発売されたのは1974年10月ですから、あれから、もうすぐ40年です。
父親が徴兵され、自身も横浜大空襲を体験していた美空ひばりが、もし生きていたら、今年の夏もこの歌を歌ったことだろう。
「戦争をする国へ」の道を突きすすむ安倍内閣に怒りを込めて・・・。

一本の鉛筆 美空ひばり YouTube

歌詞「一本の鉛筆」はここから

20東京五輪の謎?

2014-07-30 | 社会

2020年のオリンピックとパラリンピックの開催日程がが7月24日~8月9日だったことは知りませんでした。
というのは、1964年の東京オリンピックは10月開催だったし、普通、スポーツ競技と言えば〝爽やかな秋〟という思いがあったからです。
ところが、90年以降は、南半球のオーストラリア(2000年)以外はすべて夏開催になっているというのです。
どうしてそのようになったのか?このことについて、今日(30日付)の「しんぶん赤旗」のスポーツ欄に勝又秀人記者がその背景について解説しています。

結論から言うと、それには米国のテレビ局の思惑が働いているというのです。
米国には国民的な人気のスポーツとして、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー、野球の4大スポーツがあって、そのうち、野球以外は夏場はオフシーズンになっているので、その時期なら、視聴率も稼げて、スポンサーも付きやすいというのです。
IOCにとって、最大の収入源である米国のテレビ局の放映権料がもっとも期待できるからというのが、最大の理由だそうです。

ご存知のように、ここ連日、日本列島を猛暑が襲っています。もちろん、東京も例外ではありません。暑さだけではなく、突然の激しい雷雨も起きています。
テレビ報道でも、熱中症で倒れ病院へ搬送される人が多く発生していることを伝えるとともに、「熱中症に注意を」「屋外での激しいスポーツは控えるように」などと注意を呼びかけています。
ということは、一般的に、この時期はスポーツをするのに最もふさわしくない時期なのです。このような条件下で競技を行い、選手は最高のパフォーマンスを発揮できるのでしょうか?

オリンピック憲章はIOCの使命について「選手の健康を守る施策を奨励、支援する」「スポーツや選手を商業的に悪用することに反対する」と定めているそうです。
この点から言っても、真夏の開催は果たして競技や選手を考えた開催になっているのか大いに疑問です。

20年東京オリンピック開催が決定した当初、政府も東京都も、そしてマスコミも「バンザイ、バンザイ」でしたが、ここにきて、施設の規模などについて専門家の間からも疑問の声が出始め、一部、変更などが検討されていることは当然だと思います。
今さら、開催日程を変更はできないかもしれないが、今後の検討課題として大いに問題にしてほしいものです。

大きな紙面を使ってこの問題に切り込んだ「しんぶん赤旗」の記事(記者)にはあっぱれを贈りたい。

杉田二郎の歌

2014-07-28 | 趣味
杉田二郎はうちの奥さんと同じ中学校(京都市)の一年先輩で、当時から、文化祭などでよく歌っていたそうです。
私は、彼とは知り合いでもなんでもありません。ただ、彼の歌が好きだというだけです。
今年、堀内孝雄・ばんばひろふみ・高山厳・因幡晃の5人で「ブラザーズ5」を結成して、コンサートで全国を回って、私ら往年のファンを楽しませてくれています。
下の5曲のうち、「サマーソング・・・」と「題名のない・・・」の2曲は私も歌いますが、他の3曲はカラオケにはないようです。

サマーソング for you」 作詞・魚住 勉 作曲・馬飼野康二

おやすみ旅人よ」 作詞・高石ともや 作曲・杉田二郎 編曲・石川鷹彦

」 作詩・キタヤマ・オ・サム 作曲・新川 博 編曲・中西 康晴

題名のない愛の唄」 作詩・キタヤマ・オ・サム  作曲・杉田 二郎  編曲・船山 基紀

あの愛の歌を今歌いたい」 作詞・北山 修 作曲・杉田二郎 編曲・岡崎倫典

※「サマーソング・・・」を歌っているのは杉田二郎本人ではありません。

やっぱり

2014-07-25 | 日常

映画「太秦ライムライト」を観てきました。
この映画は、東映時代劇で長年斬られ役一筋をやってこられた福本清三さんをモデルにした物語です。
主役を演じられた福本清三さんの抑えた(というより素人っぽい)演技が素晴らしけ、何度か、ぐっとくる場面がありました。

観に行く前に、もしかしたら福本さんの友人であり私の友人でもある、太秦撮影所で時代劇のカメラマンをしていたMさんがちょい役で出ているのではと思って行ったのですが、やっぱり、出ていました。

映画の最初の方で、時代劇撮影場面でカメラマンとしてです。カメラを覗いている場面で時間的にも2、3秒間だったので、顔ははっきりわからなかったのですが、ジーパンにピンクのシャツ姿ですぐに彼だとわかりました。(Mさんは、夏になるとよくピンク色の半袖シャツを着ていた)
この場面だけかと思っていたら、最後の方では、全身と顔がはっき映り、監督が何か語りかけた時にひと言だけ返事をする場面があった。(黒地に赤色のツバのキャップを被っている人)
Mさんは、東映太秦撮影所で、「遠山の金さん」とか「暴れん坊将軍」などの時代劇でカメラマン(撮影技術)を担当してきた人です。

ご無沙汰している彼に電話して、「観に行ったよ。出てたねー!」というと、彼は「えーッ、観に行ってくれたの?ありがとう。出ているのわかった?」「福本さんとは長い間、一緒に仕事してきたからなあ。友情出演ですわ」といった。

私が、「出演している松方弘樹らにはギャラを支払ったの。みんな友情出演だったの?」と聞くと「松方クラスになると、普通は高いギャラを払わなあかんのやけど、安いギャラで出てくれたんや。みんな福本さんと一緒に映画を作ってきた人やから・・・」といった。
映画での福本さんと松方との殺陣のシーンは、ほんまに迫力があった。
松方の俳優としてというより、一人の人間としての福本さんへの思いがひしひしと画面からも伝わってきて感動した。

※友人のMさんというのは、宮西慶二郎さんのことです。(ご本人の了解を得て実名で掲載)
かっての東映時代劇のスタッフには、「撮影技術」として彼の名前がよく出てきます。
撮影所を定年退職された後、現在は、特定非営利活動法人森守協力隊(京都府京都市右京 区京北下弓削町杉森26番地の1) の代表をされ活躍されています。
私が、和太鼓サークル「嵐山太鼓」でお世話になっていた頃の師匠でもあります。

ちょっと知り合い

2014-07-14 | 日常

本日公開された、映画「太秦ライムライト」の主演、福本清三さんが注目されている。
半世紀にわたり東映の時代劇で〝斬られ役〟を演じてきた人が主役を務めるからです。
映画の内容も、福本さんの半世紀にわたる俳優人生をしのばせるものだそうです。

実は、この福本さんをちょっとだけ知っているというか縁があるのです。
私が世話になっていた和太鼓サークルのメンバーに、東映京都撮影所で時代劇を撮りつづけてきたカメラマンのMさんがいたのです。
ある時、彼の家(京都府右京区)にお邪魔した時のこと。大物俳優の北小路欣也などと一緒に写った写真があったので、「これどうしたの?」と聞いたら、彼は「この近くでロケしたときに俺の家に来たんや」と言っていました。

そんな縁がありまして、東映太秦映画村の夏祭りにわれわれの太鼓サークルが出演したことがありました。
演奏した後に休憩所で休んでいる時に、Mさんが親しそうに話している人がいました。歳は私らより少し上でしょうか、体は少しやせ形で強面の人でした。

Mさんの「今日の出番は?」との問いに、この人は「今日はもう全部終わった」と返事をしていました。
Mさんがサークルのメンバーに「この人は〝切られ役の大物〟の福本さんや」と紹介してくれました。福本さんは、ちょっと恥ずかしそうに頭をぺコンと下げられただけでした。
福本さんが去った後にMさんは、「時代劇も減ってきて、彼らの出番もだんだん少なくなり、この世界、俳優だけの仕事で飯が食えない人も多いんや」とぽつりと言った。

福本清三さんは、私の直接の知り合いではありませんが、今度、10年ぶりに、このような形(映画)で会うことができることをたいへん楽しみにしています。

※福本清三さんが語る自身の履歴などはここから。