風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

“娘には明るい未来を”

2007-07-02 | 社会
結局使い捨てか 東芝系工場「偽装請負」告発の果て
(2007年6月10日付け 朝日新聞より)

「偽装請負」で働かされ続けた東芝家電製造大阪工場(大阪府茨木市)の労働者たちが、6月末で職を失おうとしている。大阪労働局に内部告発し、違法状態であったと認められたが、同社は生産拠点を中国の工場に移し、大阪工場を閉鎖するからだ。正社員にはある、配転先のあっせんも、退職金も、彼らにはない。「使い捨てにすぎないのか」。絶望感の中で、途方に暮れるばかりだ。

「一体、どうするのよ」
パソコンに向かう小森彦さん(38)の背に、妻(37)の言葉が刺さった。妻は大学非常勤講師。「すぐに生活できなくなるわけじゃないだろ」。口調がつい、きつくなった。妻の目から涙がこぼれた。長女(9)の新学期を控えた3月末のことだ。
大学卒業後はバブルも終わった93年。外車販売会社に入ったが、接客や苦情処理に追われ、睡眠4時間の日々。疲れ果てて退社した。期間工として雇われた日産の関連工場は、生産再編のために契約終了に。そんな時、新聞で請負会社の求人広告を見つけた。契約社員だが、自宅近くの東芝の工場で働ける内容に飛びついた。
 それから8年。来る日も来る日も冷蔵庫の扉に断熱材を注ぎ込んできた。二種類の液体は混ざると、ぶわっと膨らむ。急いでふたをつける。
時給1050円で、ボーナスなし。月100時間残業しても、年収が300万円を超えたことはない。ボーナス前後の忙しい時期には東芝家電の正社員20人と請負会社の契約社員50人が一緒に働く。だが、契約社員は1ヶ月更新だ。食堂で順番待ちをしていた時のこと。前に並んでいた正社員2人の談笑が聞こえた。「来月は閑散期やから、生産が減るなあ」「また有期を切るんやろ」。生産量に合わせ、半数近くが契約を打ち切られる。そのつらさがわかっていない。そう感じたが、ぐっと言葉をのみ込んだ。
「こんな記事出てるよ」。昨年の夏、出勤前に妻から渡された新聞に「偽装請負」の文字が躍っていた。「低賃金、解雇も容易」。見出しが自分たちと重なった。
 数日後、突然請負会社の担当者から新しい契約書を渡された。「明日からは派遣社員ですから」。当時、製造業への派遣は1年が期限。あわてて偽装請負の解消を図ったようにしか見えないのに、そのために1年後には職を失うの・・・・・・。
 3ヵ月後、同僚3人と労働組合をつくり、大阪労働局に偽装請負だったことを「告発」する一方、東芝家電には直接雇用を求めた。すぐにクビを切られるかもしれなかったが、何もせずにはいられなかった。

採用直後消える職場
 今年2月、正社員だけが集められた。戻ってきた一人がつぶやくように言った。「工場、閉鎖やて」。冷蔵庫の生産拠点を中国に移す。会社の決定だった。希望者は別工場などに移れるというが、それも正社員だけ。
 帰宅後、仲間たちに次々と電話した。血相に驚いたのか、長女が夕食の準備をする妻に何度もきいている。「お父さん、どうしたの」。妻が答えた。
「安心して生活できるように、がんばって会社と話し合ってくれてるんだよ」。長女はほっとした表情になり、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
 東芝家電が派遣社員の希望者を直接雇用すると言ってきたのは、数日後のことだ。といっても1ヶ月更新の契約社員。しかも、「来年3月の閉鎖に向け、扉職場は6月末で生産停止となるので、それまでの契約です」。担当者の事務的な説明に憤りが抑えられなかった。「何のための直接雇用ですか。最後くらい、同じ職場の仲間と認めてくれませんか」。答えはなかった。
 小森さんら4人は3月5日付で契約社員に採用された。同29日、大阪労働局が同工場の冷蔵庫の扉生産職場で偽装請負があったと認定。同社は工場内で働く派遣社員150人に直接雇用の申し入れ、100人が応じた。が、6月末で職を失うことに変わりはない。
 先日、家族で家電量販店に行った。冷蔵庫コーナーで言った。「これ、お父さんたちがつくったんやで」。長女はうれしそうに扉を開け閉めした。その姿が、ただうれしかった。
 すでに生産が減り、給料はもっとも多い時の半分。再就職先も見つからない。家族3人の暮らしを続けていけるか、考えると眠れぬ夜もある。退職金の交渉中だが、会社が示すのは「餞別一時金」の5万円だけ。
 自宅の机には、毎月の更新のたびに結んできた労働契約書の束が入っている。8年で、約100枚。請負会社の契約社員、派遣社員、そして東芝家電の契約社員。肩書は変わっても、1ヶ月更新であることも、仕事の内容も変わらなかった。
「私たちはコマの一つにすぎなかったのか。人を人と思わないこんな雇用、娘の時代まで残したくない」