風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

酷暑お見舞い

2008-07-26 | わんちゃん
みなさん! 酷暑お見舞い申し上げます。

毎日毎日、暑くて暑くて溶けちゃいそうですね。ワン!
オッチャンもこの暑さには参っているよう。

ユキとの散歩も、少し歩くだけで「もう帰ろうか!」という。ユキもオッチャンの気持ちがわかるので?すぐUターンです。

家に帰ってくると冷房の効いた部屋で扇風機の風にあたりながらしばらくこんな格好でダウン。
オッチャンもうちに似たような格好してます。ワン!

生い立ちの景色② 薩摩芋

2008-07-19 | 生い立ちの景色
1951年9月。5歳の夏。

おっ母の朝飯の片付けが終わるのを見計らって、読んでいた新聞を4つ折にしたおっ父は「行こうか!」と立ち上がった。俺も麦藁帽子を被り納屋の裏手から鍬を2本持ってきて1本をおっ父に渡した。
きょうも川向の島(河川敷)の薩摩芋畑の草取りだ。

先週に行った日は昼から雨が降ってきたので作業が途中で終わっていた。
河川敷にあるこの畑、本来作物を作ってはいけないらしいが、それそれが勝手に耕しても誰も文句は言わなかった。

今年は5、6月と雨が多かったので畑の草がえらい生えていた。
おっ父は鍬で、おっ母は鎌で芋の蔓を切らないように雑草だけを根から引き起こしていく。慣れた手つきだ。

俺の仕事は二人が掘り起こした草を畑の外に運ぶことだ。できるだけ多く持てるように草を押さえつけて嵩を低くしてから胸の前に両手で抱えて運ぶのがコツだ。
時々持ちすぎて前が見えず畝に足をとられて転ぶこともあった。

10時頃になると畑の端に腰を下ろして一服だ。おやつはいつも行商に来るオッチャンに小麦と交換したパンだ。おっ母が手提げ袋から取り出した3個のうち、「タカシはこれやったね」とアンパンを俺に手渡した。残ったジャムパンとクリームパンをおっ父の前に差し出し、「どれにする?」と聞いていた。

昼前に草取り作業は終わった。
おっ父が「タカシ。ちょっと掘ってみろ!」といった。おっ母が3つばかりの茎元を鎌で切った。俺はその茎元を両手で持ち、後ろに反り返るように思いっきり引っ張った。土を大きく割って出てきた根茎には、赤く眩しいほどの薩摩芋が3つぶら下っていた。

全部で11個あった。「今年はまあまあの出来やな!」とお父が言った。おっ母の手提げ袋に入れるとずしりと重かった。
俺は両手でその袋を抱えて帰りの舟に飛び乗った。

晩飯の卓には蒸かしたばかりのほかほかの薩摩芋が大きな笊に盛られていた。
飯を食った後だったが、あまりにも旨かったので中くらいのを2つも食った。
満腹になった。腹はもちろん…心も。

夏バテ?それともトシ?

2008-07-16 | 日常
     家人が栽培しているカボチャ(上向けにぶら下がり?)

何だか、ここ2~3日体がシャキッとしない。
疲れを取ろうとして、夜も早めに寝ているし、昼寝もしているのに。

やはり先週の過密スケジュールが災いしているのか。
9日の午前と10日の午後とダンス・レッスンの連ちゃん。9日のレッスンでは新しいステップがなかなかうまく踏めず、だいぶしごかれた。

そして、金曜日がダンスサークルの日帰りパーティー旅行。少し張り切りすぎてドーと疲れた。
翌12日(土)は休養したかったが、友と京都へのサイクリングを約束していたので暑いなか出かけた。(走行約45km)

さすが13日の日曜日はテニスの予定が入っていたがキャンセル。一日中家の中でぶらぶらしていた。
その後、月、火の2日間もとくに出かけることもなく休養モードで過ごした。なのに、体の芯に疲れが溜まっているような感じが抜けない。

家人の前で疲れた様子を見せると二言三言では済みそうにないので、「疲れた」「しんどい」は禁句にしているが…。

早くも夏バテか。それとも、やはりトシか…。

京 夏景色

2008-07-13 | 趣味
               (鴨川の納涼床)

昨日は久しぶりに友と京都へチャリン歩(自転車で散歩の意)。
淀川右岸、桂川左岸、鴨川左岸と堤防をのんびり北上。
生ぬるい西風が背中を押してくれて楽走だが、この暑さなので20~30分毎に休憩を取った。

鴨川では暑さに我慢できない子供や若者らが水遊びしていた。
五条から三条辺りの右岸には風流な「納涼床」が。完全な「夏景色」だ。「あ~ッ 一度でいいからあんな処で豪勢に遊んでみたいものだ」といいながら対岸の木陰から眺めていた。

「近くに旨いビールがある」と友がいう。時計を見るとまだ10時30分。「こんな時間からビール?」といいながらついて行った。キンシ正宗「堀野記念館」に併設された京都街家麦酒

入るなり店の人が「11時からです」と。「ビールだけでも」というと、「時々来ていただいている方ですね。ビールだけなら」といって特別にOKしてくれた。

地麦酒は「御所」「花街」「平安」の三種類。京都らしい名だ。
とりあえず「御所」を注文。なかなか旨い。あっさりしていながらコクがある。渇いたのどにスーと入っていく。とても一杯ではやめられないと思ったが飲酒運転(自転車でも)になるので俺はこの一杯で我慢。友は「花街」を追加した。

おばさんと暫し世間話をした後、裏手の中庭にある桃乃井の名水を飲んで、古い資料を見るなど少しぶらぶらして酔いを覚まして?から店を後にした。


       (函谷鉾)

祇園祭を一度も見たことがないという友のために、鉾を見ようと少し下がって四条通りに出た。この日は午後から試し曳きの「曳き初め」が行われるということだった。
本番の巡行で先陣を切る長刀鉾や函谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾をはしご。カメラを構えた人らが鉾を取り囲んで盛んにシャッターを切っていた。

その後、向きを西にして右京区花園の妙心寺南門近くのラーメン屋「親爺」で昼食。いつもながら旨い。いくつになったのかわからないが看板の「ひげ親爺」は健在だった。

さらに西に走り、嵐山へ。相変わらず人が多い。
帰り道のエネルギーを蓄えるためにカキ氷を食うなどして、1時間余り休憩。

心配した風(向かい風)もなく少し曇ってきたので、まだまだ夏の日は高いが南に向かって桂川右岸道を帰路に着いた。(本日の走行距離約45km)

生い立ちの景色① 麦わら帽子

2008-07-10 | 生い立ちの景色
1951年7月。5歳の夏。

 昨晩はゴロゴロと雷が鳴って時折きつい雨が降った。明け方には止んだが、朝から蒸々して、少し動くだけでも首筋がじっとりとしてくる。

 おっ父はどんよりした空を見上げながら少し思案していたが「行こうか!」といった。「はい!」とおっ母の小さな声が家の中から聞こえた。俺は納屋の裏手から鍬を二本持ってきてそのうちの一本をおっ父に渡した。もう一本は自分で担いで、家の前の淀川の土手を駆け上った。

 堤防に上がると生ぬるい南風が吹いていた。河川敷のヨシ(葦)が少し見ないうちに大人の背丈ほどになり、ゆっくりと揺れていた。

 後ろから鍬を杖代わりにしたおっ父が足を引きずりながら上がってきた。おっ父は俺が生まれた2カ月後に、牛車から振り落とされるという事故がもとで手足の一部が不自由になっていた。その後、田んぼの仕事は23歳の長兄とおっ母が中心なっていた。
とはいっても、2間半の舟で川を渡ることくらいはおっ父にとってはまだまだ朝飯前のことだった。

 雨の後だったが淀川の水嵩はそんなに増えてはいない。木津川の上流の方に降ったのか、向こう岸沿いに土色した泡が少し流れている。

 いつものように左手に菰で編んだ手提げ袋、右手にヤカンを持ったおっ母が少し遅れてやってきた。使い古した袋からは鎌の柄が2、3本覗いていた。俺は舫を解いで舳先を抑えていた。慣れた足取りで乗り込んだおっ母はいつも通り真ん中に座った。

 「タカシ。蹴れ!」のおっ父の声に、俺は思いっきり土手を蹴って舟に飛び乗った。舟は舳先を反転させてゆっくりと本流の方に向かった。流れの中ほどまで行くと、川面を走る初夏の風がじっとりした体に涼しかった。

 麦藁帽子が風に飛ばされそうになった。俺はとっさにそれを両手で押さえた。