1962年6月。
「向こうの職場で人が足りない」という理由で職場移動することになった。
今度の職場は、50秒の作業を一日500回繰り返すようなこれまでのラインではなく、日産10台くらいのカラーテレビを組み立てるところだった。
仕事の内容はキャビネットにブラウン管を取付けるなど、そんなに難しくなかったし、今までの仕事に比べたら体も楽だった。
職場のメンバーは男ばかり10人くらいだったが、俺より年下は1人、みんな年上だった。
仕事場の雰囲気もよかったし、仕事もやりがいがあった。
何より、体が楽だというのは夜間通学している俺にとっては、ありがたかった。
夜間通学もだいぶ慣れ、何人か気の合うやつもできて楽しかった。
いくつかのクラブもあったが、授業が終わってからの部活はたいへんだからと、ほとんどのやつは入っていなかった。
俺も、これといってやりたいことがあったわけではないので入部はしなかった。
ただ、同じクラスの同じ会社の人で一年年上だったIさんから、「社研(社会問題研究同好会)へ入会しないか」と誘われた。
社研のメンバーは10人くらいで保健体育の先生が顧問をしていた。
2週間に1回くらい会合を持って、時事問題や会が出すニュースの内容などを話し合ったりしていた。
何となく行ってはいたが、中心になっていた先輩メンバーらとは、ちょっと肌が合わない感じがしていた。
授業中寝ているやつもおったが、先生は「仕事で疲れているからしょうがないな」と笑ってそのままにしていた。
期末試験についても、「ここら辺りをしっかり復習しとけよ」いって、気を利かせて?くれた先生もいた。ありがたかった。
学校から帰ってからの勉強は、体もしんどいし、横で寝ている親がいたのでそれもできなかった。
職場の上司にはうその理由で届け出て年休を取って試験勉強をした。
ある日、職場の先輩のHさんから「昼ごはん済んだらロッカーに来て」と言われた。行ってみると、「これ見といて」と広告紙に包まれたモノ?を渡された。
学校に行ってから包みを開けたら、共産党の新聞である「赤旗日曜版」が出てきた。ちょっとびっくりした。
「向こうの職場で人が足りない」という理由で職場移動することになった。
今度の職場は、50秒の作業を一日500回繰り返すようなこれまでのラインではなく、日産10台くらいのカラーテレビを組み立てるところだった。
仕事の内容はキャビネットにブラウン管を取付けるなど、そんなに難しくなかったし、今までの仕事に比べたら体も楽だった。
職場のメンバーは男ばかり10人くらいだったが、俺より年下は1人、みんな年上だった。
仕事場の雰囲気もよかったし、仕事もやりがいがあった。
何より、体が楽だというのは夜間通学している俺にとっては、ありがたかった。
夜間通学もだいぶ慣れ、何人か気の合うやつもできて楽しかった。
いくつかのクラブもあったが、授業が終わってからの部活はたいへんだからと、ほとんどのやつは入っていなかった。
俺も、これといってやりたいことがあったわけではないので入部はしなかった。
ただ、同じクラスの同じ会社の人で一年年上だったIさんから、「社研(社会問題研究同好会)へ入会しないか」と誘われた。
社研のメンバーは10人くらいで保健体育の先生が顧問をしていた。
2週間に1回くらい会合を持って、時事問題や会が出すニュースの内容などを話し合ったりしていた。
何となく行ってはいたが、中心になっていた先輩メンバーらとは、ちょっと肌が合わない感じがしていた。
授業中寝ているやつもおったが、先生は「仕事で疲れているからしょうがないな」と笑ってそのままにしていた。
期末試験についても、「ここら辺りをしっかり復習しとけよ」いって、気を利かせて?くれた先生もいた。ありがたかった。
学校から帰ってからの勉強は、体もしんどいし、横で寝ている親がいたのでそれもできなかった。
職場の上司にはうその理由で届け出て年休を取って試験勉強をした。
ある日、職場の先輩のHさんから「昼ごはん済んだらロッカーに来て」と言われた。行ってみると、「これ見といて」と広告紙に包まれたモノ?を渡された。
学校に行ってから包みを開けたら、共産党の新聞である「赤旗日曜版」が出てきた。ちょっとびっくりした。