(松下電器本社がある門真駅前で訴える吉岡さん)
以前、このブログで紹介した「松下プラズマディスプレイ偽装請負」事件の一審判決は一部原告の訴えを認めたが、「雇止め不当・職場復帰」を求めた吉岡 力さんの訴えは採用されず、舞台は二審の大阪高裁に移った。
去る8月28日の公判で原告・吉岡 力さんが行った意見陳述を紹介します。
ぜひ、ご支援をお願いします。
裁判所への要請署名は吉岡さんのブログからダウンロードできます。
原告意見陳述
大阪高等裁判所第8民事部2係御中
2007年8月28日
原告 吉岡 力
2007年4月26日、松下プラズマディスプレイ偽装請負訴訟の大阪地裁判決が下されました。私がこの訴訟で一番求めていた職場復帰は認められないといった非常に残念としか言いようがない判決が下されました。まず、なぜ私が大阪地裁判決を非常に残念と主張しているのか、裁判官のみなさまに知っていただきたいと思います。
私の思いをそのまま言わせていただきます。
偽装請負という犯罪行為に巻き込まれた被害者である私がさらに不利益を被り、違法行為を行なった松下プラズマディスプレイが免罪されるなどといったことが、果たして許されていいのでしょうか。司法が社会正義に反する判決を下した事に非常に情けない思いがしました。
まず、私がどういった働き方を松下プラズマディスプレイの職場で行なってきたのかを知っていただきたいと思います。
私は2004年の1月から偽装請負会社パスコの従業員として、松下の正社員の指揮命令の元、松下プラズマディスプレイ茨木工場で働き始めました。私が所属していた封着工程という部門は、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う部門でした。働き始めた当初、危険物を扱う業務を松下の従業員とパスコの従業員で一緒にこなしてきました。しかし、2004年2月に松下の従業員のW氏とY氏の鉛の特殊健康診断で血中鉛の値に非常に危険な値が出たという事件があり、その日以来、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う仕事から2人は外されることになりました。
あの時に松下の労働安全衛生担当の従業員がW氏とY氏に言った言葉は忘れる事ができません。「お前たち、もうこの仕事しなくてもいいからな。後は派遣の奴にやらしとけ」同じ業務をしていたパスコの従業員の私達には特殊健康診断はありませんでした。
2004年のこの事件があって以来、鉛や有機溶剤を扱う仕事は2004年4月初旬まではAさんと私で行い、2004年4月初旬にAさんが退社してからは1班ではほとんど私がこなしてきました。鉛や有機溶剤を扱う仕事は、封着工程の中で一番重要な仕事で基幹業務でした。
私が就いていた部門の仕事は、12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休の勤務でした。2勤2休の勤務ですので、普通に考えれば1ヶ月に約15日の出勤という事になります。
私には2004年3月20日に父親を亡くしたという事情もあり、松下プラズマの職場で一生懸命に働いて頑張ってやっていこうと心に誓っていましたので、少なくとも1ヶ月に22日は出勤していたはずです。2004年の7月には27日も出勤をして本当にがむしゃらに働いてきました。職場の中での人間関係は悪い事はありませんでした。むしろ人間関係は良かったぐらいです。
ところが、2005年3月26日の日に,松下のT班長から時給1350円のパスコから時給1200円のアクティスへ移籍しなければ辞めさせるぞと言われました。T班長はアクティスへの移籍にあたって、3月1日の日にはこちらからも悪くならないように働きかけておくからと私に言っておきながら、私に「文句を言っているのはお前だけだぞ」と言いながら、移籍を迫ってきました。T班長は今まで「吉岡ちゃんのおかげでこの封着工程は持っていると思う」と私の事を評価してくれていた方でした。なぜ、仕事の上で評価されていた私がこのような嘘をつかれ、その上、辞めさせられなければならないのでしょうか。
松下プラズマは、私と他の従業員の間で軋轢(あつれき)があったということを述べておりますが、そもそも軋轢(あつれき)の原因を起こしたのはこのような引き抜きの斡旋行為という違法行為を行い、しかも嘘をついてきた松下プラズマだということを知って頂きたいと思います。
そして、事件の経過の中で、松下プラズマは私を2005年8月22日に直接雇用しましたが、まるで見せしめだと言わんばかりに広い資材置き場にテントを一つだけ設置して私を隔離した上に、私の実質の上司であったO総括班長が「あってもなくてもいいようなどうでもいい仕事だから適当にやっといて」というような仕事を与えるという嫌がらせを私に仕掛けてきました。
それだけでなく、朝会には参加させない、社内報は渡さない、掲示板を見ていたらひっくり返す、本当に筆舌にしがたい嫌がらせをさんざんした挙げ句、私を2006年1月31日で解雇したというのが、この事件の経過なのです。
この事実経過を大阪高裁の裁判官の皆様にはしっかりと考慮して頂きたいと私は思っております。
次に私が大阪地裁判決を残念だと主張しているもう一つの理由を言わせてもらいます。
偽装請負は許せないと次々と告発する人が出てきている今の社会の流れを大阪地裁判決は全く無視したということに、激しい憤りを感じているからです。大阪地裁が下した判決は、偽装請負という反社会的な行為を行なった企業が、その違法行為を告発した者を短期間の有期雇用で雇い止めしても許されるといったことを容認したものです。大阪地裁が下したような判決が社会的に認められると、誰も偽装請負という反社会的な犯罪行為を告発しなくなってしまいます。
わたしたちは「生きるため」に働いているのです。誰が自分の生存権を奪われてまで偽装請負を告発するのでしょうか。司法が違法行為を容認する社会。司法が生存権を否定する社会。こんな社会に果たして未来があるのでしょうか。
大阪地裁の判決が出た後にすぐ控訴した理由を大阪高裁の裁判官のみなさまに知っていただきたいと思い、本日は陳述をさせていただきました。どうか大阪高裁の裁判官のみなさまには公正な判決を下していただけますよう、よろしくお願いいたします。
以前、このブログで紹介した「松下プラズマディスプレイ偽装請負」事件の一審判決は一部原告の訴えを認めたが、「雇止め不当・職場復帰」を求めた吉岡 力さんの訴えは採用されず、舞台は二審の大阪高裁に移った。
去る8月28日の公判で原告・吉岡 力さんが行った意見陳述を紹介します。
ぜひ、ご支援をお願いします。
裁判所への要請署名は吉岡さんのブログからダウンロードできます。
原告意見陳述
大阪高等裁判所第8民事部2係御中
2007年8月28日
原告 吉岡 力
2007年4月26日、松下プラズマディスプレイ偽装請負訴訟の大阪地裁判決が下されました。私がこの訴訟で一番求めていた職場復帰は認められないといった非常に残念としか言いようがない判決が下されました。まず、なぜ私が大阪地裁判決を非常に残念と主張しているのか、裁判官のみなさまに知っていただきたいと思います。
私の思いをそのまま言わせていただきます。
偽装請負という犯罪行為に巻き込まれた被害者である私がさらに不利益を被り、違法行為を行なった松下プラズマディスプレイが免罪されるなどといったことが、果たして許されていいのでしょうか。司法が社会正義に反する判決を下した事に非常に情けない思いがしました。
まず、私がどういった働き方を松下プラズマディスプレイの職場で行なってきたのかを知っていただきたいと思います。
私は2004年の1月から偽装請負会社パスコの従業員として、松下の正社員の指揮命令の元、松下プラズマディスプレイ茨木工場で働き始めました。私が所属していた封着工程という部門は、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う部門でした。働き始めた当初、危険物を扱う業務を松下の従業員とパスコの従業員で一緒にこなしてきました。しかし、2004年2月に松下の従業員のW氏とY氏の鉛の特殊健康診断で血中鉛の値に非常に危険な値が出たという事件があり、その日以来、鉛や有機溶剤といった危険物を扱う仕事から2人は外されることになりました。
あの時に松下の労働安全衛生担当の従業員がW氏とY氏に言った言葉は忘れる事ができません。「お前たち、もうこの仕事しなくてもいいからな。後は派遣の奴にやらしとけ」同じ業務をしていたパスコの従業員の私達には特殊健康診断はありませんでした。
2004年のこの事件があって以来、鉛や有機溶剤を扱う仕事は2004年4月初旬まではAさんと私で行い、2004年4月初旬にAさんが退社してからは1班ではほとんど私がこなしてきました。鉛や有機溶剤を扱う仕事は、封着工程の中で一番重要な仕事で基幹業務でした。
私が就いていた部門の仕事は、12時間15分拘束の夜勤を含む2勤2休の勤務でした。2勤2休の勤務ですので、普通に考えれば1ヶ月に約15日の出勤という事になります。
私には2004年3月20日に父親を亡くしたという事情もあり、松下プラズマの職場で一生懸命に働いて頑張ってやっていこうと心に誓っていましたので、少なくとも1ヶ月に22日は出勤していたはずです。2004年の7月には27日も出勤をして本当にがむしゃらに働いてきました。職場の中での人間関係は悪い事はありませんでした。むしろ人間関係は良かったぐらいです。
ところが、2005年3月26日の日に,松下のT班長から時給1350円のパスコから時給1200円のアクティスへ移籍しなければ辞めさせるぞと言われました。T班長はアクティスへの移籍にあたって、3月1日の日にはこちらからも悪くならないように働きかけておくからと私に言っておきながら、私に「文句を言っているのはお前だけだぞ」と言いながら、移籍を迫ってきました。T班長は今まで「吉岡ちゃんのおかげでこの封着工程は持っていると思う」と私の事を評価してくれていた方でした。なぜ、仕事の上で評価されていた私がこのような嘘をつかれ、その上、辞めさせられなければならないのでしょうか。
松下プラズマは、私と他の従業員の間で軋轢(あつれき)があったということを述べておりますが、そもそも軋轢(あつれき)の原因を起こしたのはこのような引き抜きの斡旋行為という違法行為を行い、しかも嘘をついてきた松下プラズマだということを知って頂きたいと思います。
そして、事件の経過の中で、松下プラズマは私を2005年8月22日に直接雇用しましたが、まるで見せしめだと言わんばかりに広い資材置き場にテントを一つだけ設置して私を隔離した上に、私の実質の上司であったO総括班長が「あってもなくてもいいようなどうでもいい仕事だから適当にやっといて」というような仕事を与えるという嫌がらせを私に仕掛けてきました。
それだけでなく、朝会には参加させない、社内報は渡さない、掲示板を見ていたらひっくり返す、本当に筆舌にしがたい嫌がらせをさんざんした挙げ句、私を2006年1月31日で解雇したというのが、この事件の経過なのです。
この事実経過を大阪高裁の裁判官の皆様にはしっかりと考慮して頂きたいと私は思っております。
次に私が大阪地裁判決を残念だと主張しているもう一つの理由を言わせてもらいます。
偽装請負は許せないと次々と告発する人が出てきている今の社会の流れを大阪地裁判決は全く無視したということに、激しい憤りを感じているからです。大阪地裁が下した判決は、偽装請負という反社会的な行為を行なった企業が、その違法行為を告発した者を短期間の有期雇用で雇い止めしても許されるといったことを容認したものです。大阪地裁が下したような判決が社会的に認められると、誰も偽装請負という反社会的な犯罪行為を告発しなくなってしまいます。
わたしたちは「生きるため」に働いているのです。誰が自分の生存権を奪われてまで偽装請負を告発するのでしょうか。司法が違法行為を容認する社会。司法が生存権を否定する社会。こんな社会に果たして未来があるのでしょうか。
大阪地裁の判決が出た後にすぐ控訴した理由を大阪高裁の裁判官のみなさまに知っていただきたいと思い、本日は陳述をさせていただきました。どうか大阪高裁の裁判官のみなさまには公正な判決を下していただけますよう、よろしくお願いいたします。