風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

保存すべきか? 旧遊郭街(京都府八幡市橋本)

2016-08-16 | 日常
私のサイクリングの定番コースは、島本町→鵜殿のヨシ原→淀川右岸河川敷道→枚方大橋を渡り→淀川左岸本流沿い道→楠葉(旧京街道)→八幡市橋本→八幡背割り堤→天王山大橋→桂川右岸→島本町で、ヨシ原や淀川の流れを見ながらのんびりと走るのが自分流。
このコースで、必ず通るところが八幡市橋本の旧遊郭街。その昔、ここでは勤王の志士も新撰組も仲良く遊んだという伝えもあるところ。
伏見と大阪を結ぶ京街道には、他に、伏見の中書島、枚方の桜新地にも遊郭があり、ここには対岸の山崎(水無瀬川河口)とを結ぶ渡し舟があった。
昭和32年(1957年)に売春防止法が成立し、昭和33年4月1日の同法の施行と共に公娼地域としての遊廓の歴史は完全に幕を閉じた。
10年前くらいまでは中書島や枚方にも、当時を偲ばせる建家が数軒ほど残っていたが、今ではほとんど見なくなった。その点、橋本には、年々少なくなってきているとはいえ、当時のままの建物(内部は居住用に造作されている)が多く残されいる。
個人的には、歴史的な建物として、街並みをこのまま残してほしいと思うが、現在では、それぞれが住宅として使用され建物もだいぶ老朽化しているのでそうはいかないだろう。難しい問題だ。


右側が京阪橋本駅で左が旧遊郭建屋


駅前の洋食屋「やをりき」懐かしいアサヒスタイニーの看板が


番屋(当時、ここで働く人の管理や交流の場として使われた)


裏口(勝手口)のひさしも銅板を使った豪華な造りに


一部改造された家もあるが当時の街並みが残る

生い立ちの景色(53) 自動車運転免許取る

2016-08-16 | 生い立ちの景色
1963年8月。
夏休み中に自動車運転免許書を取ろうと、6月に教習所には入学を申し込んでいた。
申し込み時は手付金3000円だけ、入学までに費用の全額を支払うということだったので、7月にもらう賞与3万円全部をそれに充てることにした。
夏休み期間中に取得するには、追試などないようにしなければならない。
講習は、実技と学科が同時並行で進んだ。
教習車はトヨタのクラウンと日野のヒルマンの2種類あり、俺は日野のだった。
初めての運転実技の時に、隣に乗った教官が「お前、だいぶ乗っているな?」と言った。
実は、会社で納品に来る下請けの兄ちゃんに「今度、教習所に行くので、ちょと乗らせて」と、無免許でだいぶ練習していたのだ。
学科もそれほど難しいこともなく、模擬テストではほぼ合格点を取れていた。
そんなことで、実技の本試験は追試もなく一発で合格。後は、試験所に行っての学科テストだけになった。
学科試験当日の午前中に教習所で最後の講習があった。教官から一枚のペーパーが配られ、「昨日のテストではこんな問題が出た。これを、しっかり頭に入れておくように」と言われた。この回答付ペーパーはすぐに回収された。
本試験は午後からの門真市にある試験場に行って受けた。
何と、試験問題の多くが午前中に渡されたペーパーの中身とほぼ同じだった。
前日の試験問題が教習所には翌日にはわかる?何か特別なルートでもあるのか?
そんなことはどうでもよかった。これで、俺も「普通」と「二輪車」の免許証を持つことができた。
2週間後、年休を取って試験場に免許書を受け取りに行き、帰りに預けていた印鑑などを受け取るために教習所に立ち寄った。教習所入口の看板には「合格率業界随一」とあった。
お客(生徒)を集めるために合格率を上げなけれがならない。この業界の競争も激しいのだ。