風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

「生活保護」問題について

2012-05-29 | 社会
Kお笑いタレントの母親の生活保護受給についてさまざまな報道がなされている。
この問題について生活保護問題対策全国会議と全国生活保護裁判連絡会という、生活保護問題を取り組んでいる二つの団体の声明が出されているので全文を紹介します。(生活保護問題対策全国会議のブログはここから

生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明
生活保護問題対策全国会議 代表幹事 弁護士 尾藤廣喜
全国生活保護裁判連絡会 代表委員 小川政亮

1 人気お笑いタレントの母親が生活保護を受給していることを女性週刊誌が報じたことを契機に生活保護に対する異常なバッシングが続いている。今回の一連の報道は、あまりに感情的で、実態を十分に踏まえることなく、浮足立った便乗報道合戦になっている。「不正受給が横行している」、「働くより生活保護をもらった方が楽で得」「不良外国人が日本の制度を壊す」、果ては視聴者から自分の知っている生活保護受給者の行状についての「通報」を募る番組まである。一連の報道の特徴は、なぜ扶養が生活保護制度上保護の要件とされていないのかという点についての正確な理解(注1)を欠いたまま、極めてレアケースである高額所得の息子としての道義的問題をすりかえ、あたかも制度全般や制度利用者全般に問題があるかのごとき報道がなされている点にある。

 つまり、①本来、生活保護法上、扶養義務者の扶養は、保護利用の要件とはされていないこと、②成人に達した子どもの親に対する扶養義務は、「その者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」にすぎないこと、③しかも、その場合の扶養の程度、内容は、あくまでも話し合い合意をもととするものであること、④もし、扶養の程度、内容が、扶養義務の「社会的地位にふさわしい生活を成り立たせ」ることを前提としても、なお著しく少ないと判断される場合には、福祉事務所が、家庭裁判所に扶養義務者の扶養を求める手続きが、生活保護法77条に定められていることなどの扶養の在り方に関する正しい議論がなされないまま、一方的に「不正受給」が行なわれているかのごとき追及と報道がなされているのである。
 また、そこでは、①雇用の崩壊と高齢化の進展が深刻であるのに雇用保険や年金等の他の社会保障制度が極めて脆弱であるという社会の構造からして、生活保護利用者が増えるという今日の事態は当然のことであること、②生活保護制度利用者が増えたといっても利用率は1.6%に過ぎず、先進諸国(ドイツ9.7%、イギリス9.3%、フランス5.7%)に比べてむしろ異常に低いこと,③「不正受給」は、金額ベースで0.4%弱で推移しているのに対して、捕捉率(生活保護利用資格のある人のうち現に利用している人の割合)は2~3割に過ぎず,むしろ必要な人に行きわたっていないこと(漏給)が大きな問題であることなど,生活保護制度利用者増加の原因となる事実が置き去りにされている。(注2)
 さらに、今回の一連の報道は、厳しい雇用情勢の中での就労努力や病気の治療など、個々が抱えた課題に真摯に向き合っている人、あるいは、苦しい中で、さまざまな事情から親族の援助を受けられず、「孤立」を余儀なくされている高齢の利用者など多くの生活保護利用者の心と名誉を深く傷つけている。

2 ところで、今回のタレントバッシングの中心となった世耕弘成議員と片山さつき議員は、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の座長とメンバーである。
 そして、同党が2012年4月9日に発表した生活保護制度に関する政策は、①生活保護給付水準の10%引き下げ、②自治体による医療機関の指定、重複処方の厳格なチェック、ジェネリック薬の使用義務の法制化などによる医療費の抑制、③食費や被服費などの生活扶助、住宅扶助、教育扶助等の現物給付化、④稼働層を対象とした生活保護期間「有期制」の導入などが並び、憲法25条に基づき、住民の生存権を保障する最後のセイフティーネットとしての生活保護制度を確立するという視点を全く欠いた、財政抑制のみが先行した施策となっている。
 かつて、小泉政権下においては、毎年2200億円社会保障費を削減するなどの徹底した給付抑制策を推進し、その行きつく先が、「保護行政の優等生」「厚生労働省の直轄地」と言われた北九州市における3年連続の餓死事件の発生であった。今回の自民党の生活保護制度に関する政策には、こうした施策が日本の貧困を拡大させたとして強い批判を招き、政権交代に結びついたことに対する反省のかけらも見られない。
 さらに問題なのは、社会保障・税一体改革特別委員会において、自民党の生活保護に関する政策について、現政権の野田首相が「4か3.5くらいは同じ」と述べ、小宮山厚生労働大臣が「自民党の提起も踏まえて、どう引き下げていくのか議論したい」と述べていることである。そこには、「国民の生活が第一」という政権交代時のスローガンをどう実現していくか、また、「コンクリートから人へ」の視点に基づき、貧困の深刻化の中で、この国の最低生活水準をどう底上げしていくのかという姿勢が全く見られない。
 そもそも、生活保護基準については、2011年2月から社会保障審議会の生活保護基準部会において、学識経験者らによる専門的な検討が進められているのであり、小宮山大臣の発言は、同部会に対して外部から露骨な政治的圧力をかけるものであって部会委員らの真摯な努力を冒涜するものと言わなければならない。
 そのうえ、小宮山大臣は、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すと事実上扶養を生活保護利用の要件とする法改正を検討する考えまで示している。しかし、今回のタレントの例外的な事例を契機に、制度の本来的在り方を検討することなく、法改正を行うということ自体が乱暴極まりない。
また、生活困窮者の中には、DV被害者や虐待経験者も少なくなく、「無縁社会」とも言われる現代社会において、家族との関係が希薄化・悪化・断絶している人がほとんどである。 かつて、札幌市白石区で25年前に発生した母親餓死事件は、まさに、保護申請に際して、この扶養をできない証明を求められたことが原因となって発生した事件であった。
 かかる点を直視することなく、法改正を行えば、ただでさえ利用しにくい生活保護制度がほとんど利用できなくなり、「餓死」「孤立死」などの深刻な事態を招くことが明らかである。小宮山大臣は、国民の生活保障に責任をもつ厚生労働大臣として、マスコミに対して冷静な対応を呼びかけるべき立場にありながら、混乱に翻弄されて軽率にも理不尽な法改正にまで言及しており、その職責に反していると言わざるを得ない。

3 今年に入ってから全国で「餓死」「凍死」「孤立死」が相次いでいるが,目下の経済状況下で、雇用や他の社会保障制度の現状を改めることなく、放置したままで生活保護制度のみを切り縮めれば、餓死者・自殺者が続発し、犯罪も増え社会不安を招くことが目に見えている。
 今求められているのは、生活保護制度が置かれている客観的な状況を把握し、制度利用者の実態に目を向け、その声に耳を傾けながら、冷静にあるべき方向性を議論することである。
 当会は,報道関係各位に対しては、正確な情報に基づく冷静な報道を心掛けていただくようお願いするとともに、民主党政権に対しては、今一度政権交代時の「国民の生活が第一」の原点に戻った政権運営を期待し、自民党に対しては、今回の生活保護制度に関する政策の根本的見直しを求め、本緊急声明を発表する次第である。

40年前の二つ

2012-05-27 | 日常
家人が、「これ、このまま残しておくの?整理したら」と、重そうに少し大きめの段ボール箱を持ち出してきた。
???何だったかなと思いつつ開けてみて、思い出した。何十年か前に身辺を整理した時に、「これは捨てない」と残しておいたノートや手帳類だった。

あれから何年経っているか思い出せないが、埃っぽく、色が変わっているものもある。中のものを取り出し古新聞の上に並べてみた。青年運動や社会活動をしていた頃のノートが7、8冊、手帳が20年くらい分、それに私と家人の給料明細書などが。

年代順に並べて何冊かページを開いてみた。懐かしい青年運動に明け暮れていたあの頃の自分や仲間たちの姿が映像のように蘇ってきた。仕事のこと、私事、いろいろなことが書いてあった。

何十年分の給料・賞与明細書もあり、各年一枚ずつ並べてみた。結婚する前のものはなかったが、家人の給料明細は結婚する前のものもあった。こっちはすぐ捨てる方だったが、彼女は何でも?残していた。

一通り目を通した。思い出として残しておきたい気持ちもあったが、一部を残して思い切って捨てることにした。
思い出の「物」は捨てたが、心の中にはいつまでも残る「思い出」だ。


昭和47年10月と11月分の妻の給料明細書(姓が変わっているのは結婚したから)


   あの頃の手帳にはこんな歌(歌詞)が

似ている?ママさん

2012-05-21 | 日常

時々〝お茶〟しに行く駅前の喫茶店(昼は喫茶で夜はスナック)、店内に入ると最初に目につくのは、誰もが知っている往年の大女優オードリー・ヘプバーンの写真。若かりし頃のもの、最も脂の乗り切った頃のものなど大小5、6枚が貼ってある。

初めて行った時に、写真を指して「どうしてオードリーなの?」と聞いたら、ママさん、「わたし大好きなの。若い頃から…」という。…どおりでここのママさん、体は小柄だが顔立ちといい髪型といい写真とちょっと似ている。「メイクもオードリーを意識して?」というと、「わかる。そうなの…」と恥ずかしそうにいう。

オードリー・ヘプバーンは映画(テレビで)で1、2回しか見たことがないし、〝ムチャきれい!〟くらいしか印象がない。スクリーンの中の彼女でなく実際はどのような女優だったのか、どのような人だったのか、それもあんまり知らない。でも、コーヒーを飲みながらこの写真をじーと見みていると、一度はこのような綺麗な人とお茶をしてみたいと思うのが不思議である。
ただし、ママさんの話しぶりはちょっと方言訛り?があるようで、写真のイメージとは比べて???という感じがしないでもない。(ママさん、ごめんなさい!)

参考:オードリー・ヘプバーンの生涯の一部 [ウィキペディアより]
【第二次世界大戦中はオランダで、密かにドイツのオランダ占領に対する抵抗運動の資金集めのために踊るなど、反ドイツのレジスタンス運動に従事していた。オードリーの叔父と母親の従兄弟はドイツに対する抵抗者だったため、オードリーの目の前で銃殺された。彼女の異父兄弟もドイツの強制収容所に入れられた。オードリーは栄養失調のため急性貧血症で浮腫み、呼吸困難、水腫に罹り、黄疸が出る程の重体となりアムステルダムの病院に入院する、入院しても満足な治療を施せない物資不足の中、母親が必死で手に入れたペニシリンで九死に一生を得る。16歳の時、オランダの病院でボランティアの看護婦をしていたが…】

盛りたくさんの半日

2012-05-14 | 日常
昨日の午後は長岡京市(京都府)内での3つのイベントをハシゴすることになり、ちょっと忙しかった。

一つ目はダンスサークルのKさん(女性)が出場したジャズダンス発表会。初めての生ジャズダンスに感動。
残念ながら場内「撮影禁止」で、今回は写真なしです。そんな訳で、ちょっとドキドキする衣装と躍動感あふれるKさんの踊りは、私の記憶の中に保存ということに。

二つ目は友人Tさんらの写真展。
   
   旧石田邸「神足(こうたり)ふれあい町家」          Tさんの作品「信州の4月」

会場は長岡京市内の旧西国街道沿いにある江戸時代に紙商いだった旧石田邸(上の写真左)。家屋は国登録有形文化財に指定され、表に出格子、白壁・虫籠窓(むしこまど)が特徴的。現在は、住民が利用できる文化サロン「神足ふれあい町家」として生まれ変わり、いろいろなイベントも催されている。
写真展の方は最終日であまり時間がなかったが、会場にマッチした展示と素晴らしい写真・書道を鑑賞できて心豊かになった。
信州の4月を写したTさんの作品(上の写真右)が映えていた。Tさんのブログより)

その後、三つ目の予定まで1時間ほどの時間があった。時間つぶしに悩んだ果てに居酒屋に。カツオのたたきで焼酎のお湯割りを一杯(ほんと一杯ですよ)。

6時半からは社交ダンスのレッスンを受けている野田和総ダンススタジオ主催のダンスパーテー。

〈野田和総先生と川辺香津子先生によるチャチャ〉

野田・川辺両先生によるデモはもちろん素晴らしかったが、サークルの女性3人、男性1人がそれぞれ野田先生、川辺先生とデモを踊られた。この日のために相当レッスンを重ねられた成果を発揮され、みなさんとも素晴らしいステップを踏んでおられた。自分ももう少し上手になったら一度は先生と踊ってみたいと、ちょっと羨ましかった。今回は、知っているサークルメンバーが多く参加していたので、お喋りとダンスを9時過ぎまで楽しみ会場を後にした。

今回は偶然にも三つの催しが同じ地域(市内)だったが、それぞれの会場間を歩いて移動したのでちょっと疲れた。19日の土曜日は、嵐山の友人の店「恋歌茶論」の恒例のギター&歌声ライヴに行く予定。これも楽しみ。

ドラマーのHiROさんから

2012-05-12 | 日常

昨日、思いがけないことがありました。というのは、今月5日の投稿「ジャズに酔い…」で紹介したバンドSPY(スパイ)でドラムを担当されているHiROさんから次のようなコメントを頂いたのです。↓

【はじめまして!
SPYのドラムのHiROといいます!
突然コメントして申し訳ございません。
ジャズストで色々見ていたらこちらのページにたどりつき、しかも僕の写真が!
とてもうれしいです!
というのもSPYのメンバーは10人と多く、いつもドラムの僕は後ろで、中々写真がないもので。笑
それと、チップもありがとうございます!
演奏活動に大事に使わせていただきます!
高槻、茨木を中心にライヴをしていますので、もしお時間の都合が合えば遊びに来てください。
今後ともSPYをよろしくお願いします♪】


この投稿は、5月の3・4日の「高槻JAZZ STREET 2012」に行って、たまたま出会ったバンド(SPY)がすごく気に入ったこと、中でも、ドラムを叩いていたHiROさんの表情が素晴らしかったことを写真付きでUPしたもの。

HiROさん、こんな記事にとても喜んでもらって恐縮してます。また、「チップ…大事に使わせいただきます」は、ちょっと恥ずかしいです。というのは、この日は、紙のお金じゃなく硬貨の大きめのやつしか入れなかったので…。

これまでJAZZを聴くこともあまりなかったし関心もなかったのに、たまたま去年のこの催し行って初めて生のJAZZに出会い、そして、今年は彼らに出会った。この50数年間、歌謡曲とともに生きてきた?が、これからはJAZZとも共存できそう。

HiROさんありがとう。もう一度写真UPしました。「高槻・茨木を中心に」活動ということなら近いですし、機会がありましたらライヴに友人を誘って遊びに行きますね。