山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

石の上の神様に柚子

2007-12-31 | 山里
大きな石の上には神様が祀ってあります。石の後ろにあるのは柚子の木です。栃久保では柚子がたくさん植えられて、冬の山里に明るい柚子色を添えています。
今日の神様には、新しい御幣のついたソヨゴの枝と、柚子がお供えしてありました。

今日の夕方の栃久保の空気は、透き通るように静まり返っていました。
寒さが本格的になってきました。


山里を訪れた日は幸せな気分になります。
山里から帰ってくるときは満ち足りた気分になります。
今日は栃久保の後、坂折にも行って直さんに会ってきました。
奥さんと一緒にこたつに入っていました。
山里の人たちはなぜか私に安らぎを与えてくれます。
私が山里の人たちとかかわる意味がどこにあるのか分かりませんが
私はかかわり続けたいと思います。
来年はきっともっと深く、もっと広くかかわっていくだろうと思います。
そうなっているはずです。


なんだか私は最近少しのことで涙っぽくなります。
今日は栃久保に行く途中の、笠置の美しい石積みを見ただけで
涙が出てしまいました。なぜでしょう……

注連飾りも毎年手作り

2007-12-31 | 山里
栃久保では注連飾りも毎年その家の人が手作りしています。
この注連飾りは、下の門松のお宅なのですが、ご主人は「なにしろ年に1度しか作らないからなかなか上手にならない」と言われてました。確かに年に1度です。

お米を作っているからこそ作れる注連飾りです。
わらは本当に日本人の暮らしをささえてきました。

1月15日前後には、古い注連飾りと門松を燃やす、盛大な「どんど」が催されます。集落ごとに少しずつ違いがあるようですが、栃久保のどんどは、中心に立てた竹がパーンとはぜて、火がなくなるころ黒い板状に割れて残っているのを各家の人が持ち帰り、自分の家の台所の屋根の上に投げ上げるのだそうです。そうすると火事にならないという言い伝えがあります。

ちょっと飾った門松

2007-12-31 | 山里
栃久保のお宅の門松。普通は、下の集会所の門松と同じのがどの家にもあるのですが、この家は、南天を添えてちょっと飾ってありました。
ほかに、笹(細い竹の枝と葉のついたもの、ちょうど七夕飾りにするような)を添えてある家もありました。

栃久保の神様と石積み塾

2007-12-31 | 山里
ちょうど1カ月前に書いたけれど、恵那市笠置の栃久保で石積み塾を行います。
2月23、24と3月9日あたり。
今回は、栃久保の要になっている若宮神社の石積みです。
ここの神社はとても面白くて、傾斜地にあるので、拝殿から直会殿までが、段々になっているのです。もちろん直会殿が下にあります。
直会殿は舞や、ところによっては歌舞伎などをする場所で、見方によっては直会殿に向かって客席が段々に作ってあるといえます。
こんなところは私は見たことがありません。
この段々の石積みが崩れてしまったので、直そうというわけです。

坂折棚田で2度石積み塾をして、石積みは田んぼと切っても切り離せないものであり、暮らしに密着しているからこそ大切であると感じてきましたが
栃久保のこの若宮神社の石積みをする意味は……

栃久保は神様がたくさんいらっしゃるところなのです。
いたるところに神様がまつってあります。仏様もありますが。
御嶽教の行者の人が、この集落をとおりかかって、「素通りできない」と言われたそうです。
14軒の集落ですが、むらの人は今もお祭りを大事にしています。年に1度ならず、何度もお祭り的な行事が行われています。

今日も、畑や田んぼのあちこちに、真っ白な御幣を飾ったソヨゴの枝が立てられていました。神様を迎えるためです。

ここの集落の人たちは、今も神様と隣り合わせに暮らしていることを強く感じます。

若宮神社は集落の要です。高いところにあって、集落を見下ろしています。
こんなむらで暮らしている人たちの心栄えを、少しでも分けてもらえたら、そしてその人たちが、この神社でお祭りをしたり寄り合いをしたりして、共同体を保って行くという心に少しでも近づきたい、ちょっとだけ仲間に入れてもらいたいと思うからです。
とにかく景色のいいところです。

若宮神社の石積みをするには、石が全く足りません。
それで、前もって「石拾い」もみんなで行おうと思っています。
木曽川沿いの道端で、石積みにできそうな石を拾い集めるのです。
石が資源に見える瞬間を味わおうというわけです。

土地の人と一緒にいると、本当に石は資源だと感じます。邪魔者なだけではないのです。
「昔は、一つ一つ、何年もかけて石を寄せておいて、集まったら初めて石積みしたものだ」と土地の人は言われていました。いい石を見つけたら、心がけて集めていたということです。石積みの石も一度にパッと手に入るわけではないのです。

最近私も道路に落石で大きな石が落ちていると、「あの石使えそう」と思うようになってきました。

今日の栃久保は、どの家にも門松が飾ってありました。これが昔ながらのこの土地の門松のようです。松とソヨゴです。ソヨゴはどれも赤い実の付いていないものでした(雌雄異株なので)。赤い実を飾るためにソヨゴを使うのかと思っていたけど、むしろ違うようです。
どの家も、ってとこがすごいです。ごくまれに、最近風の竹を切った門松を飾ってました。
その土地の伝統を守ってるというのは何かすがすがしいものです。

栃久保は南斜面で暖かいところだとみんないいますが、夕方の空気はひんやりして、明らかに私の住んでいるところとは違いました。空気が新鮮でおいしい感じです。

写真は、集会所の門松です。集会所は神社とはずっと離れた、川沿いにあります。