賀状の歴史
今年の年賀状シーズンも懸賞の抽選による当選番号発表を最後に終了となる。コロナ禍での年賀状取扱数が昨年までと比較してどのように変化したのかも興味が湧く。
私が交換する年賀状はここ数年減り続けている。理由は個人の高齢化による体力減退だ。中には急な他界を奥様が喪中お知らせされるものもある。他界と聞くと私もつい緊張してしまう。年齢が近い所為だろうか。
年賀状は私の場合は、中学生のころ国語の先生が「もらって嬉しい内容」としていくつか例示されたことをきっかけに交換し始めたように記憶している。先生にも多くの生徒が出し、年明けに「こんな年賀状をもらって嬉しかった」と幾つかを紹介された。その時期からだと60年近くのお正月に年賀状が寄り添っていたことになる。
さて、年賀状の習慣がいつ頃から始まったのかを調べてみようと思い立った。「年賀状の歴史」とネット検索して、「年賀状博物館」(Web上の総合博物館 全国はがき印刷振興協会会長 小森俊郎)に出会った。内容は、平安時代末期の藤原明衡著「雲州消息」に年始の挨拶を含む文例があり、この頃には「年賀の書状」が広まっていたとある。江戸期には紙もあり寺子屋で読み書きを習う。1702年に編まれた雑俳撰集に「六月に 年始の礼は かへり花」の句が載っている。明治期には1873年「郵便ハガキ」の発行開始。このハガキが日本の伝統文化であった「年賀の書状」と結びつく。第2次大戦中は1時中止されたが戦後復活し、お年玉付きハガキが作られて戦前を凌いで多くの年賀ハガキが大ヒットした、と説明されている。年賀状の将来についても、平和の背景があってこその存在であり、是非残したいものだとあった。
私が作る年賀状は毎年減少する。高齢化が進み、元気を確かめ合う相手は漸減する。また電子メールや携帯電話などを個人が簡単に使え、少子化でもある。年賀状の習慣を社会に残すことは容易でないと肌で感じる。しかし、私自身は「文字が書ける間は続けたいものだ」と考えている。
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