2月20日(土)、晴れ。
今日はこのまま快晴になるんでしょうか。
山の端がほの赤いグラデーション。寒そうな朝です。
万葉集に、奈良の奥・大宇陀の「カギロイ」の歌がありますが、「カギロイ」とは近い現象かも知れません。
昨日は、車の中で「銅メダル」を聴きました。
男子フィギャでは初めてとか。「転倒しなかったら・・金」かも。
ソレニシテモ、メダル獲得は良かったです。
ーーーー
昔、勤めていた会社の上司が亡くなって、今日、お葬儀に行ってきました。
お名前は「西羽潔さん」。
ひょっとすると、ご存知の方も居るかも知れません。
2005年の暮れに「戦争を語り継ごう」というブログを立ち上げて(このことは本人から聞いてはおりましたが・・)、メーリングリストなども整えて、全国にその思いを発信し続けておられました。
近年は、旧日本兵の遺品が米国のオークションで、売り買いされている現状を知り、現地に住む日本人の友人と連携して、収集した遺品を、遺族に戻す運動もされ、ニュースや新聞でも取り上げられておりました。
その報道は小生も見たりしたことはあって、そのときは「厚生省は何もしていないのは、どうしたことか・・」と憤ってい他のですが、よもや元上司の西羽さんがなさっていとことは、不覚にも知りませんでした。
3年前に「胃癌」が発覚、余命1月と宣告されていたそうですが、その間も治療の傍ら、精力的に各方面に出向いたり、活動を続けておられました。
式場では、その様子を録画したNHKニュースが披露され、初めて「立派なことをされていたんだ」と知った次第です。
先月末、急速に体調が悪化して癌が肝臓に転移していたことが分かり、一月を待たずお亡くなりになりました。
再度ブログ名を示しておきます。「戦争を語り継ごう」です。
享年76歳。合掌。
ところで、葬儀は「仏式」でもなし「神式」でもなし、まったく宗教色の無い形式でした。
中央に「華美でない祭壇」。
その上には「慰霊写真」。
先ずは、弟さんの「追悼の詞」。学友の「追悼の詞」。
そのあと、天井からスクリーンが降りてきて、生前の活動の一端「NHKニュース(2つ)」が映し出されました。
続いて、親族の「献花」、参列者の「献花」。
アメリカで遺品収集活動をする友人から届いた、西羽さんの活動を讃え故人を惜しむ「メール」の披露がありました。
形どおりの「弔電」は、名前のみの読み上げ。
これは、参列者へ余計な時間を掛けないという、ご遺族の配慮だと思いました。
最後に、ご長男から「闘病生活と最期の様子」が語られて、以上で1時間。
小生が知る限りでは、大変洗練されて好感の持てるご葬儀でした。
では、また。
今日はこのまま快晴になるんでしょうか。
山の端がほの赤いグラデーション。寒そうな朝です。
万葉集に、奈良の奥・大宇陀の「カギロイ」の歌がありますが、「カギロイ」とは近い現象かも知れません。
昨日は、車の中で「銅メダル」を聴きました。
男子フィギャでは初めてとか。「転倒しなかったら・・金」かも。
ソレニシテモ、メダル獲得は良かったです。
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昔、勤めていた会社の上司が亡くなって、今日、お葬儀に行ってきました。
お名前は「西羽潔さん」。
ひょっとすると、ご存知の方も居るかも知れません。
2005年の暮れに「戦争を語り継ごう」というブログを立ち上げて(このことは本人から聞いてはおりましたが・・)、メーリングリストなども整えて、全国にその思いを発信し続けておられました。
近年は、旧日本兵の遺品が米国のオークションで、売り買いされている現状を知り、現地に住む日本人の友人と連携して、収集した遺品を、遺族に戻す運動もされ、ニュースや新聞でも取り上げられておりました。
その報道は小生も見たりしたことはあって、そのときは「厚生省は何もしていないのは、どうしたことか・・」と憤ってい他のですが、よもや元上司の西羽さんがなさっていとことは、不覚にも知りませんでした。
3年前に「胃癌」が発覚、余命1月と宣告されていたそうですが、その間も治療の傍ら、精力的に各方面に出向いたり、活動を続けておられました。
式場では、その様子を録画したNHKニュースが披露され、初めて「立派なことをされていたんだ」と知った次第です。
先月末、急速に体調が悪化して癌が肝臓に転移していたことが分かり、一月を待たずお亡くなりになりました。
再度ブログ名を示しておきます。「戦争を語り継ごう」です。
享年76歳。合掌。
ところで、葬儀は「仏式」でもなし「神式」でもなし、まったく宗教色の無い形式でした。
中央に「華美でない祭壇」。
その上には「慰霊写真」。
先ずは、弟さんの「追悼の詞」。学友の「追悼の詞」。
そのあと、天井からスクリーンが降りてきて、生前の活動の一端「NHKニュース(2つ)」が映し出されました。
続いて、親族の「献花」、参列者の「献花」。
アメリカで遺品収集活動をする友人から届いた、西羽さんの活動を讃え故人を惜しむ「メール」の披露がありました。
形どおりの「弔電」は、名前のみの読み上げ。
これは、参列者へ余計な時間を掛けないという、ご遺族の配慮だと思いました。
最後に、ご長男から「闘病生活と最期の様子」が語られて、以上で1時間。
小生が知る限りでは、大変洗練されて好感の持てるご葬儀でした。
では、また。
駒の写真集
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