6月12日(水)、曇り。
昨日は、一日中強い風。
一時晴れ間もありましたが、夕刻に少しの雨。
変化の多い一日でした。
ーーーー
京都国立博物館で7月8月は「遊び」の展。

展示の詳細は知りません。
ビラから想像するのみですが、どこかで見に行こうと思います。
昨日は、一日中強い風。
一時晴れ間もありましたが、夕刻に少しの雨。
変化の多い一日でした。
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京都国立博物館で7月8月は「遊び」の展。

展示の詳細は知りません。
ビラから想像するのみですが、どこかで見に行こうと思います。
6月11日(火)、曇り。
昨日、「恵みの雨か」と書いたものの、見込み違いの青空。
仕事は「錦旗」の彫り駒。
文字色をほんのちょっと濃くしようと再度調整。
微妙に変化。
濃くし過ぎても元の黙阿弥。
ということで、これで完成。
前にアップしていた写真はこれ。
比較するつもりで、以前とその以前の様子を再びアップしておきます。

昨日、「恵みの雨か」と書いたものの、見込み違いの青空。
仕事は「錦旗」の彫り駒。
文字色をほんのちょっと濃くしようと再度調整。
微妙に変化。
濃くし過ぎても元の黙阿弥。
ということで、これで完成。
前にアップしていた写真はこれ。
比較するつもりで、以前とその以前の様子を再びアップしておきます。

6月10日(月)、曇り。
どうやら曇りから雨に。
久しぶりの恵みの雨のようです。
ーーーー
龍虎対決と言えば、古い写真がありました。
小生の仕事場に掲げてあるので、ひょっとすると、以前にも紹介したことがあるかもしれません。
大正年間。
実力名人戦が始まるより15~6年前の写真です。
対局者は、小野五平12世名人と、後の13世名人・関根金次郎八段。
場所は東京の料亭「喜楽」。
観戦するのは旧郡山藩の柳沢保恵さんと友人の面々。
保恵さんは当時の将棋界のパトロンでもありました。
この原本は、大和郡山市にある「柳沢文庫」に掲げられていました。
15年から20年ほど前、毎月5~6人の歴史好きによる「サロン」に加わりました。
その折に、事務局を担当している方に、額から出してコピーしたこれを頂戴しました。
この写真は今でも掲げられていると思うのですが、珍しいので、アップさせていただきます。
この時、保恵さんの将棋免状(発行者=関根名人)のコピーも頂戴。
時折リ展示会などで、披露しております。
どうやら曇りから雨に。
久しぶりの恵みの雨のようです。
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龍虎対決と言えば、古い写真がありました。
小生の仕事場に掲げてあるので、ひょっとすると、以前にも紹介したことがあるかもしれません。
大正年間。
実力名人戦が始まるより15~6年前の写真です。
対局者は、小野五平12世名人と、後の13世名人・関根金次郎八段。
場所は東京の料亭「喜楽」。
観戦するのは旧郡山藩の柳沢保恵さんと友人の面々。
保恵さんは当時の将棋界のパトロンでもありました。
この原本は、大和郡山市にある「柳沢文庫」に掲げられていました。
15年から20年ほど前、毎月5~6人の歴史好きによる「サロン」に加わりました。
その折に、事務局を担当している方に、額から出してコピーしたこれを頂戴しました。
この写真は今でも掲げられていると思うのですが、珍しいので、アップさせていただきます。
この時、保恵さんの将棋免状(発行者=関根名人)のコピーも頂戴。
時折リ展示会などで、披露しております。
6月9日(日)、薄曇り。
曇ってはいますが、まずまずの天気続き。
昨日は、和歌山辺りで地震続き。
その内の一つは、加茂でもかすかな揺れを感じました。
ーーーー
先日の名人戦。
森内名人が背にするのは、床ノ間の「龍乕争珠」の掛け軸。
木村義雄14世名人の筆跡です。
良い書だな。
こんなのが遺されているのだなあ。
どなたが持っているのかなあ。
週刊将棋の一面を見て、こう思いました。
しかし、この書軸のことについて、記事には何も書いてありませんでした。
それから数日後。
驚きました。
書軸の出所が、小生の極く親しい方だったのです。
以下は、その方から直接聞いた経緯。
但し、持ち主のお名前は、敢えて伏せておきます。
元々は、福井資明(すけあき)名誉九段の所持品だったそうで、近年まで同家に伝えられていました。
福井名誉九段を知る人は少ないと思いますので、福井さんのことは下に掲げておきます。
関根13世名人門下の地方棋士として青森県弘前に住まわれていました。
ある時、請われて北海道に渡り、北海道での将棋隆盛に大きく貢献。
八段の高位者でしたが、正式にプロ棋士として認められたのは、亡くなって34年後の平成18年。
この折に名誉九段が贈られました。
実は、小生はその時期に、三重県津市にお住いのご子息には2度ほどお会いしたことがあります。
この時は、将棋の会が開かれていました。
確か玄関には「将棋指南」という看板が掲げてあったように記憶してます。
尾崎さんに連れて行ってもらったのですが、ご子息とはいえ、小生より一廻り以上。
当然ながら、お父様譲りの将棋は、はるかに小生より強い。
そんな印象でした。
福井名誉九段の業績が認められたのは、周りの人々の働きかけと協力が大きかった。
その一人に、福井家からお礼として渡されたのが、この書軸だったのです。
それからおよそ6~7年経って、この書軸にふさわしい出番が与えられました。
今回の「名古屋対局」。
この名人戦に備え、Oさんの下で新しく表装がなされて、この軸が飾られました。
将に相応しい「龍乕争珠」です。
そして、後日談。
この書軸は対局後に、持ち主から日本将棋連盟に寄贈されました。
個人で眠らせているより、連盟で活用してもらう方が良いという思いです。
持ち主Oさんの素晴らしい判断ですね。
将棋ファンの一人として、喝采。
「余り書かないで」と言われていましたが、以上、書かかせて戴きました。
ということで、来年もどこかの「名人戦」で名人の背を飾ることでしょう。
ーーーー
{参考資料}
福井 資明(ふくい すけあき、1888年2月19日 - 1972年4月14日)は、日本の将棋棋士。青森県弘前市出身。関根金次郎十三世名人門下。
1931年(昭和6年)、北海道大学の教授たちからの強い要請により、関根金次郎名人の推薦を受け北海道へ移住する。
北海道における将棋の普及や、1941年(昭和16年)の将棋大成会北海道支部(現・社団法人北海道将棋連盟)の設立、1967年(昭和42年)の北海道将棋会館の建設などに尽力した。五十嵐豊一や勝浦修らのプロ棋士を輩出している。
昭和30年代の札幌で行われた名人戦では正立会人を務め、昭和40年代の将棋名鑑では「地方棋士」として掲載されている。
1950年(昭和25年)4月、八段へ昇段。
1972年(昭和47年)死去。享年84。
2006年(平成18年)11月17日付で九段を追贈。これに関して、東奥日報の当初の記事[1] では『全国初の九段位を追贈』としてアマチュア扱い、東奥日報の後の記事[2]では「プロ九段位」、社団法人北海道将棋連盟サイト[3]では『晴れて正式のプロ棋士として認められ』としてそれ以前はプロとして認められていなかった旨をそれぞれ示唆する文章になっている。
曇ってはいますが、まずまずの天気続き。
昨日は、和歌山辺りで地震続き。
その内の一つは、加茂でもかすかな揺れを感じました。
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先日の名人戦。
森内名人が背にするのは、床ノ間の「龍乕争珠」の掛け軸。
木村義雄14世名人の筆跡です。
良い書だな。
こんなのが遺されているのだなあ。
どなたが持っているのかなあ。
週刊将棋の一面を見て、こう思いました。
しかし、この書軸のことについて、記事には何も書いてありませんでした。
それから数日後。
驚きました。
書軸の出所が、小生の極く親しい方だったのです。
以下は、その方から直接聞いた経緯。
但し、持ち主のお名前は、敢えて伏せておきます。
元々は、福井資明(すけあき)名誉九段の所持品だったそうで、近年まで同家に伝えられていました。
福井名誉九段を知る人は少ないと思いますので、福井さんのことは下に掲げておきます。
関根13世名人門下の地方棋士として青森県弘前に住まわれていました。
ある時、請われて北海道に渡り、北海道での将棋隆盛に大きく貢献。
八段の高位者でしたが、正式にプロ棋士として認められたのは、亡くなって34年後の平成18年。
この折に名誉九段が贈られました。
実は、小生はその時期に、三重県津市にお住いのご子息には2度ほどお会いしたことがあります。
この時は、将棋の会が開かれていました。
確か玄関には「将棋指南」という看板が掲げてあったように記憶してます。
尾崎さんに連れて行ってもらったのですが、ご子息とはいえ、小生より一廻り以上。
当然ながら、お父様譲りの将棋は、はるかに小生より強い。
そんな印象でした。
福井名誉九段の業績が認められたのは、周りの人々の働きかけと協力が大きかった。
その一人に、福井家からお礼として渡されたのが、この書軸だったのです。
それからおよそ6~7年経って、この書軸にふさわしい出番が与えられました。
今回の「名古屋対局」。
この名人戦に備え、Oさんの下で新しく表装がなされて、この軸が飾られました。
将に相応しい「龍乕争珠」です。
そして、後日談。
この書軸は対局後に、持ち主から日本将棋連盟に寄贈されました。
個人で眠らせているより、連盟で活用してもらう方が良いという思いです。
持ち主Oさんの素晴らしい判断ですね。
将棋ファンの一人として、喝采。
「余り書かないで」と言われていましたが、以上、書かかせて戴きました。
ということで、来年もどこかの「名人戦」で名人の背を飾ることでしょう。
ーーーー
{参考資料}
福井 資明(ふくい すけあき、1888年2月19日 - 1972年4月14日)は、日本の将棋棋士。青森県弘前市出身。関根金次郎十三世名人門下。
1931年(昭和6年)、北海道大学の教授たちからの強い要請により、関根金次郎名人の推薦を受け北海道へ移住する。
北海道における将棋の普及や、1941年(昭和16年)の将棋大成会北海道支部(現・社団法人北海道将棋連盟)の設立、1967年(昭和42年)の北海道将棋会館の建設などに尽力した。五十嵐豊一や勝浦修らのプロ棋士を輩出している。
昭和30年代の札幌で行われた名人戦では正立会人を務め、昭和40年代の将棋名鑑では「地方棋士」として掲載されている。
1950年(昭和25年)4月、八段へ昇段。
1972年(昭和47年)死去。享年84。
2006年(平成18年)11月17日付で九段を追贈。これに関して、東奥日報の当初の記事[1] では『全国初の九段位を追贈』としてアマチュア扱い、東奥日報の後の記事[2]では「プロ九段位」、社団法人北海道将棋連盟サイト[3]では『晴れて正式のプロ棋士として認められ』としてそれ以前はプロとして認められていなかった旨をそれぞれ示唆する文章になっている。
6月8日(土)、晴れ。
良い天気が続きます。
空気もクリアー。
これは昨日の夕晴れ。

遠くの山は20キロほど離れた春日原始林。
裏庭の葡萄。
実は4ミリほどに。

少し大きくなりました。
ーーーー
先日の問いかけの答えです。
「バタさん」のおっしゃる通り、駒箱の「蓋」の置き方。
「蓋は上下をひっくり返さないで、畳に置く」。
トップの写真。
こんな感じ。
これが正しい置き方だと思います。
時々、お椀の蓋のように上下を返して、表の方を下にして置く場面を見かけます。
これは誤った置き方。
理由は何か。
これを繰り返していると、駒箱の表(一番美しいところ)が畳に擦れて傷がつく。
駒箱のためには、良くないのです。
お椀の場合は、「コウダイ」というか、「丸い輪っか」が美しい塗りが擦れるのを防いでいる。
構造が違うと、取り扱いが違うのですね。
チョッとしたしぐさですが、さすがは羽生さん。
正しい駒箱の取り扱いに、感心納得した次第。
余談ですが、トップの駒箱は手持ちの桐箱に生漆で塗りあげてみました。
では、また。
良い天気が続きます。
空気もクリアー。
これは昨日の夕晴れ。

遠くの山は20キロほど離れた春日原始林。
裏庭の葡萄。
実は4ミリほどに。

少し大きくなりました。
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先日の問いかけの答えです。
「バタさん」のおっしゃる通り、駒箱の「蓋」の置き方。
「蓋は上下をひっくり返さないで、畳に置く」。
トップの写真。
こんな感じ。
これが正しい置き方だと思います。
時々、お椀の蓋のように上下を返して、表の方を下にして置く場面を見かけます。
これは誤った置き方。
理由は何か。
これを繰り返していると、駒箱の表(一番美しいところ)が畳に擦れて傷がつく。
駒箱のためには、良くないのです。
お椀の場合は、「コウダイ」というか、「丸い輪っか」が美しい塗りが擦れるのを防いでいる。
構造が違うと、取り扱いが違うのですね。
チョッとしたしぐさですが、さすがは羽生さん。
正しい駒箱の取り扱いに、感心納得した次第。
余談ですが、トップの駒箱は手持ちの桐箱に生漆で塗りあげてみました。
では、また。
早朝は奈良中央市場。
目的は、日曜日の法事に持って行く果物のまとめ買い。
店頭には、ビワ、イチジク、葡萄、サクランボ、メロン等。
その中から、4個入りの「メロン」を3箱。
そのほか自宅用にジュースにする「トマト」を2箱と、「ニンニク」を一袋。
その足で鮮魚エリアに。
ここで「小鮎」を見つけました。
500グラムの箱入り。

これを2箱ゲット。
ついでに別棟の焼きながら売っている「ウナギ屋」に。
ウナギは大の好物。
店頭には大きなのが30匹ほど。
しかし、近年は高くなっているのが玉に傷。
この中から2匹を。
ということで、帰宅は8時過ぎ。
仕事は、いつもより1時間遅れで、彫り駒に3回目の漆の塗り込み。

こんな感じです。
これが固まると、研ぎ出し研磨。
全体を磨いて面取り。
そのあと銘を入れれば出来上がり。
工程は、盛り上げに較べて半分くらいでしょうか。
手早く仕事が進みます。
目的は、日曜日の法事に持って行く果物のまとめ買い。
店頭には、ビワ、イチジク、葡萄、サクランボ、メロン等。
その中から、4個入りの「メロン」を3箱。
そのほか自宅用にジュースにする「トマト」を2箱と、「ニンニク」を一袋。
その足で鮮魚エリアに。
ここで「小鮎」を見つけました。
500グラムの箱入り。

これを2箱ゲット。
ついでに別棟の焼きながら売っている「ウナギ屋」に。
ウナギは大の好物。
店頭には大きなのが30匹ほど。
しかし、近年は高くなっているのが玉に傷。
この中から2匹を。
ということで、帰宅は8時過ぎ。
仕事は、いつもより1時間遅れで、彫り駒に3回目の漆の塗り込み。

こんな感じです。
これが固まると、研ぎ出し研磨。
全体を磨いて面取り。
そのあと銘を入れれば出来上がり。
工程は、盛り上げに較べて半分くらいでしょうか。
手早く仕事が進みます。
6月7日(木)、曇り。
淡路島で20何年か前に作った駒に出会いました。
ホテルに持ってこられたのは、Kさん。
時折りは使っておられるとのこと。
懐かしく、撮らさせて戴きました。

「空蝉」。
「空蝉」は小生の肉筆を駒にしたものです。
第3回「駒書体創作コンテスト」に応募。
その後は会員諸氏に、オリジナルを開放。
自由に使用出来るようにしました。
なお、小生が作る「空蝉」は、後に一部を改良しています。
ーーーー
淡路島からの帰りに4人で、徳島での「女流王位戦」と「徳島城博物館」に。
「徳島城博物館」では折から「蜂須賀家の名宝展」が開催。
大名家のお宝を見学して帰ってきました。
その帰途、奈良の「平城京跡資料館」にも立ち寄り見学。
ここでは、フラッシュを使わなければ、写真撮影OK。

これはその時の写真です。
ーーーー
昨日、10時前に「今、大阪です。30分で良いから伺いたいが」とMさんの電話。
「13時過ぎ、ああ、良いですよ」と返事してから気付いたのが午後の外出予定。
で「午後の用事を忘れていました。午前中ならOK」と。
多少、あわてましたね。
連絡がとれたから良かったものの、良く確かめてと、チョイ反省でした。
淡路島で20何年か前に作った駒に出会いました。
ホテルに持ってこられたのは、Kさん。
時折りは使っておられるとのこと。
懐かしく、撮らさせて戴きました。

「空蝉」。
「空蝉」は小生の肉筆を駒にしたものです。
第3回「駒書体創作コンテスト」に応募。
その後は会員諸氏に、オリジナルを開放。
自由に使用出来るようにしました。
なお、小生が作る「空蝉」は、後に一部を改良しています。
ーーーー
淡路島からの帰りに4人で、徳島での「女流王位戦」と「徳島城博物館」に。
「徳島城博物館」では折から「蜂須賀家の名宝展」が開催。
大名家のお宝を見学して帰ってきました。
その帰途、奈良の「平城京跡資料館」にも立ち寄り見学。
ここでは、フラッシュを使わなければ、写真撮影OK。

これはその時の写真です。
ーーーー
昨日、10時前に「今、大阪です。30分で良いから伺いたいが」とMさんの電話。
「13時過ぎ、ああ、良いですよ」と返事してから気付いたのが午後の外出予定。
で「午後の用事を忘れていました。午前中ならOK」と。
多少、あわてましたね。
連絡がとれたから良かったものの、良く確かめてと、チョイ反省でした。
6月7日(金)、晴れ。
昨夜は、窓をあけたまま眠って、少し寝冷え気味。
大したことは無い腹痛ですが、不覚。
「年寄りの冷や水」。
昨日の質問。
バタさんから「正解」のコメント。
これについては、今夜、思うところを述べたいと思います。
今から、奈良の中央市場に買い出しに出かけます。
朝はこれにて。
では、また。
昨夜は、窓をあけたまま眠って、少し寝冷え気味。
大したことは無い腹痛ですが、不覚。
「年寄りの冷や水」。
昨日の質問。
バタさんから「正解」のコメント。
これについては、今夜、思うところを述べたいと思います。
今から、奈良の中央市場に買い出しに出かけます。
朝はこれにて。
では、また。
過日の棋聖戦。
写真は「対局後の検討会」が終了して、羽生棋聖が、駒を仕舞い始めたところ。

対戦者の渡辺さんが、それを見守るという情景です。
手順として羽生さんが駒の数を数えて駒袋に入れてゆく。
そして、駒箱に納めます。
ご承知のように「検討会」は対局者本人ためでもありますが、新聞記事に資するためのモノでもあります。
記者が対局者それぞれの思いや狙いを引き出して、記事に反映するネタにする訳ですね。
検討会の後、上位者が使った駒を箱に仕舞って、あらためて礼をして一局が終わる。
同時に、周りの関係者も一礼して一局が終わる。
このような情景は、今では当たり前のようになっていますが、昔は少し違っていたようにも思うのです。
オボロゲながらの記憶では、昔は他の関係者(例えば、記録係)がやっていたような・・。
「礼に始まり礼に終わる」。
今では、最高峰のタイトル戦で、これが当たり前になりました。
これを真近で拝見できたのは、誠に幸せ。
ファン冥利に尽きると言うことです。
ところで余談ながら、私なりにもう一つ注目したところがありました。
その写真です。

で、結果は羽生さんのしぐさを見て「さすが」と思いました。
チョッと映像が流れて見にくいですが、それは何か。
お分かりの方も多いと思います。
それを見つけてくだされば、嬉しく。
答えは、明日に致します。
では、本日はこれにて失礼。
駒の写真集
リンク先はこちら」
http://blog.goo.ne.jp/photo/11726