ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

内緒の話はあのねのね

2012-01-19 23:23:35 | 日記・エッセイ・コラム

わが家の姉妹姫は15歳になる。
外には出さず一緒に暮らしているので
わたしたちの言葉がよく分かる。

ほめられたのか ひやかされたのか
じゃけんにされたのか・・・・
いちいち反応して態度がかわる。

すこぶる機嫌の良いときは(めったにはないが)
離れから起床してくるわたしを
ドアの前まで迎えに来る。
 (おぁょ、おぁょ、)
わたしもうれしくなって(おはよ、おはよ、) と
呼びかける。

話の長い茶飲客には尋常ではない声をあげて
追いかえそうとする。
 (はい、はい、ロクさん、もう帰ります) と
退散していく客も居て
15年も一緒に暮らしていると
随分いろんなことが分かるようだ。

それでも喋れないのは幸い。
もしも喋れたら何かと厄介なことになるだろう。

姫よ、今のままがいい。
それ以上は分かってくれるなよ。

      出かけやうかお湿りほどの雪なれば


トリモチ

2012-01-18 14:28:40 | 日記・エッセイ・コラム

知人のブログにアオジが載っていた。
中学生のとき飼ったことのある懐かしい野鳥。

夜明け前の未だ暗い山に入り
清水の溜まる傍にトリモチを仕掛け じっと待つ。
やがて森の中が朧に明けてくると
いろいろな種類の小鳥たちが水を飲みにやってくる。
トリモチの枝にとまった瞬間 捕えるのだが
急がないとトリモチが羽にくっ付いて厄介なことになる。

少し大型のウソやイカルも魅力的な鳥だが
こちらは捕るのが難しく
知り合いの鳥名人から譲ってもらう。
中学生の小遣いからなので
一羽二百円か三百円で譲ってくれた。

当時はどんな野鳥を飼っても罰せられることはなく
今ではなかなか見られないような
貴重な野鳥に囲まれて愉しむことができた。

高校に通うようになってから
一羽残らず放してやったが
いちばん囀りの良いメジロだけが籠から出ようとしない。
手でつかんで空に放ってもしばらくは近くの
柿の梢で鳴いていた。
その声は今も耳の奥に残っている。

 *アオジ=スズメ目ホオジロ科ホオジロ属

  冬うらら枯枝に刺すさつま芋


カレーライスを食べながら

2012-01-17 18:58:07 | 日記・エッセイ・コラム

欠席つづきのロータリークラブの例会に
本日ひさしぶりに出席した。

皆さんそれぞれ晴れやかな顔で
カレーライスを戴きながら
新年の息災を祝い合う。

例会後、理事会にも出席し
苦いコーヒーを舐めながら
取りとめのない議論に加わる。
ご多分にもれず我らロータリークラブも
会員の高齢化により
組織から活力が失われ
無難な議論で時間が費やされる。

「自分がやらなくて誰がやる!」
十年前の情熱はすっかり色あせて
その中にわたしが居る。

風邪だろうか
くしゃみが止まらない。

     さみしうてわらうてしまう烏瓜


ゆめの途中

2012-01-15 17:29:41 | 日記・エッセイ・コラム

あちこちから詩集が届けられる。

 わたしの読解力をふくめて
体質に合うもの 
合わないものいろいろある。
難解な数学の問題を与えられたような
中には読み続けることに苦痛なものさえある。

 高齢者による出版がだんぜん多く
生甲斐のようにつぎつぎ出している人もいて。

ほとんどが自費出版になるので
費用の面でも
若い人たちには負担が大き過ぎるのかも。

 詩集、句集、歌集、自分史など
一方では出版公害などと揶揄されることもあるが
少々のお金が掛かっても
何もせずにボケていくよりは
ずっと素敵なことではないだろうか。

 わたしの目標は詩集3冊、句集1冊もつことである。
目標達成まではまだまだ遠い。

  鴨南蛮の葱の甘さや雪催ひ


予感

2012-01-14 22:55:46 | 日記・エッセイ・コラム

戴いた年賀状を
あらためて一枚一枚読みかえす。

「今年こそは・・・・」という件がいちばん多く
だれもが人生にMore betterを望んでいる。
殊に大震災の復興と原発事故の終息は
年が明けても解決できるものではなく
「今年こそは・・・・」の祈りも冷たい風に虚しく
かき消される。

人類は一つ一つ学習しながら
完全な人間になるまで生きつづけることが
神の計画だという。
ほんとうだろうか・・・・
宇宙の奇跡とまで言われている
このかけがえのない緑の惑星を片っぱしから破壊し
ほんとうに人類は生きつづけられるだろうか。

ノストラダムスの予言(ハルマゲドン)もマヤの暦も
キリストの終末論も
人類の我慾に対する警鐘にちがいない。
そのことを人は皆分かっているのに止められない。
まだまだ大丈夫だと高をくくっている。

この奢りこそ
人類の命運が
かなり危険なところまで来てしまっているような
予感がしてならない。

          鍋にしやうか真鱈の腹を突きゐて